西ドイツとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:04 UTC 版)
「ドイツ民主共和国」の記事における「西ドイツとの関係」の解説
東ドイツ政府は建国当初は全ドイツを統一するという目標を持っており、東西が分断されたのは西の責任であると主張していた(西ドイツ側もドイツの唯一の正統政府を自認し、ハルシュタイン原則に基づき、東ドイツと国交を結ぶ国とは国交を結ばない方針を取っていた)。そのために、国有鉄道の名称もあえて戦前のドイツ国有鉄道の名称を継承し、西に対抗する形で「ルフトハンザドイツ航空」を設立したりしていた。また、東西お互いに相手を非難するプロパガンダ放送(東側では「黒いチャンネル」、西側では「赤いレンズ」)を流し合っていた。 しかし、1972年の東西ドイツ基本条約の締結による相互承認、翌年の東西ドイツの国連加盟によって東ドイツが国際的に国家承認されると一転して「ドイツ民主共和国は社会主義的民族の国であって、資本主義的民族の国家である西とは別である」という主張で二国並立状態を正当化するようになった。 このように政治的には西と対立し、分断国家の固定化を進めていたが、その一方でホーネッカー政権は経済面では西との交易を進めた他、東ドイツ国民の消費生活を維持するために西ドイツから銀行保証付きの借款を受けていた。また西ドイツがローマ条約締結時に東ドイツとの貿易は「国内取引」であり、無関税・無課税であると主張したため、実質的に欧州共同体(EC)の一員と同じ条件で貿易ができるという、他の東側諸国に比べて恵まれた立場を享受することができた。東ドイツが他の社会主義国よりも経済を発展させることができた(その代わり西への債務も増大したが)のは、この側面も無視できない。
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