東西ドイツ基本条約
東西ドイツ基本条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:43 UTC 版)
「ヴィリー・ブラント」の記事における「東西ドイツ基本条約」の解説
政治的基盤を強化したブラントはそして東ドイツとの関係正常化に取り組んだ。東ドイツをドイツ民主共和国と呼び、一民族二国家論の立場をとった。いわゆる「接近による変化」で東西間の対話や交流を促進し硬直した東西関係を改善するために12月21日に東ドイツと東西ドイツ基本条約を結び、相互に国家として承認した。ブラントは二国家に分かれても交流を進めることでドイツ人としての一体性は維持できると考えていた。東ドイツは外国ではなく再統一への含みを残したのである。
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