エゴン・バールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 海外の政治家 > ドイツの政治家 > エゴン・バールの意味・解説 

エゴン・バール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 02:03 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
エゴン・バール
Egon Bahr
生年月日 (1922-03-18) 1922年3月18日
出生地 ドイツ国
テューリンゲン州トレフフルト
没年月日 (2015-08-19) 2015年8月19日(93歳没)
所属政党 ドイツ社会民主党

第5代 ドイツ連邦共和国経済協力大臣
在任期間 1974年 - 1976年

第8代 ドイツ連邦共和国特命大臣
在任期間 1972年 - 1974年
テンプレートを表示

エゴン・バール(Egon Karlheinz Bahr、1922年3月18日 - 2015年8月19日)は、ドイツの政治家(ドイツ社会民主党所属)、経済協力大臣(1974年-1976年)。テューリンゲン州生まれ。

ヴィリー・ブラントの側近として、東西ドイツの分断克服のアイデアとして「接近による変革」を提唱し、東西ドイツ基本条約交渉をはじめとするソ連、東ドイツ、ポーランドとの関係正常化を目指した東方外交において主導的な役割を担ったことで知られる。

新聞社やラジオ局の勤務を経て、ブラントに抜擢され、西ベルリン市の広報担当に就く。ブラントの外相就任に伴って、外務省政策企画部長に転じ、東方外交につながる安全保障構想を立案する。1969年のブラント政権成立後は、首相府の東方問題担当になり、モスクワ条約、東西ドイツ基本条約の交渉に携わった。シュミット政権での経済協力相を経て、1980年から1982年まで国連軍縮委員会(パルメ委員会)に参加し、共通の安全保障概念を提唱した。

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

  • フォークトマイヤー、アンドレアス / 岡田浩平訳 『西ドイツ外交とエゴン・バール』三元社、2014年。ISBN 978-4883033607 
  • Sprotte, Maik Hendrik (2014). “Egon Bahr und sein Japan-Besuch 1969: Japa­ni­sche Atom­waf­fen als 'Frage des Wil­lens, nicht des Kön­nens'?”. Bochu­mer Jahr­buch zur Ost­asi­en­for­schung (BJOAF). 6 / 2012: 213–247. 
公職
先代:
エアハルト・エプラー (en
ドイツ連邦共和国経済協力大臣
第5代:1974 - 1976
次代:
マリ・シュライ (de)
先代:
ホルスト・エームケ
ドイツ連邦共和国特命大臣
第8代:1972 - 1974
次代:
ヴェルナー・マイホーファー (en




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エゴン・バール」の関連用語

エゴン・バールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エゴン・バールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエゴン・バール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS