西アジア諸国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)
「世界金融危機 (2007年-2010年)」の記事における「西アジア諸国」の解説
サブプライムローン問題の影響により、それまで住宅ローンに向けられていた資金が原油先物市場に流入した。このため原油価格は2008年7月にはニューヨーク・マーカンタイル取引所で1バレル=147.27ドルの市場最高値を記録した。しかし世界的な景気悪化は原油価格の下落をもたらし、2008年から原油価格が下落して最大で76%減となった。 原油価格の下落は、産油国の財政に影響を及ぼした。サウジアラビアでは2008年にGDPの23%に達していた財政黒字が赤字へと変わった。クウェートではガルフバンク(英語版)が経営難となった。湾岸諸国で最も被害の大きかったアラブ首長国連邦(UAE)のドバイでは、1兆1000億ドルの建設計画の半分が中止され、2008年9月から12月にかけて株価は半値となった。ドバイは石油資源が豊富ではない地域にあたるため、経済発展のために外部資金を取り込む必要があり、投機目的の資金が多く流入していた点が被害の大きさにつながった。2009年11月25日には政府系の持ち株会社のドバイ・ワールドが債務の返済猶予を求めたことがきっかけで信用不安が起き、ドバイ・ショックとなった。ドバイ政府はドバイ金融支援基金(ṣundūq dubayy li-da‘ama al-mālī, Dubai Financial Support Fund)を設立して収拾にあたり、特別司法委員会や特別法廷によって民事紛争の解決を進めた。これによって裁判所と裁判外の紛争解決を折衷した方法が可能となり、不良債権処理と私的整理をともに支援した。 トルコは2009年第1四半期にはGDPが14.7%縮小し、イスタンブール証券取引所の株式市場は2008年11月までに54%下落した。トルコは2005年から2007年の国外からの資本流入がGDPの7%に達し、経常赤字を上回っていた。しかし金融危機によって資本流入が止まり、2001年のトルコ経済危機(英語版)の時期よりも資本流出の金額が大きくなった。2009年の倒産件数は、統計発表が開始されて以来初めて1万件を超えた。2000年から2008年にかけての輸出は年平均21.5%の増加を続けていたが、2009年に前年比22.6%減少し、失業率は2009年2月に16.1%となった。実需の危機は起きたが、2001年の経済危機をもとに財政・金融構造改革が行われていたため、財政・金融危機には拡大しなかった。
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