西アフリカの軍事史
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西アフリカ、西アフリカ史も参照 西アフリカは古代に数多くの帝国が繁栄し、征服・敗北両方の戦争に関与したことで知られている。ガーナ王国 (750–1036)、ソンガイ帝国 (16世紀–17世紀)、マリ帝国 (1235–1546)、バンバラ王国 (1652–1861)、 トゥクロール帝国 (19世紀)、フラニ帝国 (フラニ戦争 (1804–1810)など)、ケネドゥグ王国 (c. 1650–1898)、マシーナ王国 (19世紀)が戦争で戦い、勝利・敗北することで台頭・没落していった。 植民地時代では、ヨーロッパ勢力は自国の新しい植民地をつくりあげようと模索していた。西アフリカの沿岸は大西洋に面していたことから文化的・貿易的影響力に対して開かれており、海洋からの征服も可能であったことから地理的に植民地化が可能だった。西アフリカは貴重な金属、ミネラル及び産出物が多く存在していたことで、外部勢力の関心と競争を招いた。20世紀にはギニアビサウ独立戦争(1963–1974)などのようにこれらの植民地国家の一部が植民地保有国と戦うなど紛争が起きた 何世紀にもわたり一部のアフリカ諸国は過酷な内戦を経験しており、その中でも最も犠牲が大きかったのがビアフラ共和国がナイジェリアからの独立を試みたことで起きたビアフラ戦争 (1967–1970)であった。他のアフリカ諸国もシエラレオネ内戦(1991–2002), 第一次リベリア内戦 (1989–1996)、ギニアビサウ内戦 (1998–1999)など内戦、内部軍事衝突及び軍事クーデターなどが起きている。近年ではコートジボワール内戦 (2002–2004)、カザマンス紛争 (1990–現在)が起きている。
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