西アフリカのサハラ交易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
西部のニジェール川流域では、中流の内陸デルタの都市であるジェンネが古くから栄え、サハラの銅やサバンナからの金を運ぶサハラ交易が行われていた。アラブ・イスラームの進出以前は、ベルベル人が貿易に携わっていた。7世紀から北アフリカにラクダが導入されると、イスラーム商人の隊商が盛んになる。地中海沿岸のアラブ人はサハラ砂漠の彼方をスーダン(黒人の国)と呼び、ニジェール川流域は西スーダン、チャド湖近辺は中央スーダン、ナイル川上流を東スーダンと呼んだ。サハラ砂漠からは岩塩が運ばれてニジェール川流域の金と取り引きされ、地中海へ金が運ばれた。また、イスラームの影響でコーラの実も嗜好品として流通した。ベルベル人はイスラームへ改宗して、アラブ人が来たのちもサハラ交易の取り引きを主導した。北からのベルベル人のほかに、マンデ系のワンガラ族やジュラ族(英語版)が活動した。コーラの実がとれる森に沿ってジュラ商人の街も建設されて、交易網を緊密にした。 貿易ルート沿いの王国は商人の保護と課税によって経済的基盤を得る一方、イスラームへの改宗も進んだ。主な国としては8世紀から記録があるガーナ王国、13世紀のマンデ人(英語版)のマリ王国、水運を支配した15世紀のソンガイ王国がある。ガーナ王国の首都はイスラーム教徒の居住地と王の土地に分かれており、セネガル川上流から金が産出された。以後、金の産出地は東へと移ってゆく。マリの王は大規模なキャラバンでマッカ巡礼を行い、中でもマンサ・ムーサは8000人以上を率いたとも言われており、新しい交易ルートの開発も目的だったとされる。ルート上に点在する都市も繁栄して、特にトンブクトゥは有名となった。
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