北アフリカ、東アフリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
ウマイヤ朝の時代にはエジプトのフスタートが貿易都市として繁栄して、バグダードを首都とするアッバース朝が成立するとアラビア海近辺の貿易ルートはペルシア湾経由が増え、カイロを首都としたファーティマ朝が成立すると紅海経由が増えた。紅海の出入口にあたるイエメンの商人が東アフリカに進出して、キルワ、モガディシオ、モンバサなどの都市が成長した。地中海沿岸では、イスラーム商人が港湾都市のベジャイア、アルジェ、オランを建設して、代理人であるワキールは各地に商館を建てて、遠方からの依頼で取り引きを行った。15世紀には、中国の明が鄭和の指揮する艦隊を派遣して、東アフリカにも来航している。西アフリカのサハラ交易で入手された金は、地中海沿岸へと運ばれた。エチオピア原産のコーヒーノキは、イエメンでも栽培されてイスラーム世界で飲まれるようになり、イランやインドへと産地が広まる。イエメンは15世紀からコーヒーの世界的な輸出港を持ち、やがてカイロの商人もコーヒー貿易に進出して、コーヒーの習慣はトルコをへてヨーロッパでも流行する。ヨーロッパ向けの船が寄港するモカは、のちにコーヒーのブランド名の由来になった。
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