西アジアの封泥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:09 UTC 版)
西アジアの封泥はシュメール文明にさかのぼることができる。紀元前5000年頃から使用例が見られるほか、紀元前3000年頃にはシュメール文明で板ではなく粘土玉により封泥を使用している。 この時期の封泥は交易品など重要物品の容器にかぶせた布や皮を封緘するためと、その内容と発送者の証明書に用いられた。内容物の品目を示し責任を明らかにするとともに、中身の改変を防ぐためである。いずれにせよ封緘力が極めて強く、破壊しなければ開けられない=開けられたか否かが一目瞭然となる封泥は、その中身を保護・保存する目的には最適であったといえよう。 そして封泥で封緘を行った後は、封緘・保管に関する責任の所在を明らかにするため、必ず封緘した者を示す文字や記号が書き込まれた。後に印章の使用が一般化すると印が押捺されるようになっていく。 シュメルやアッカドの封泥はローマやギリシャなどにも影響を与え、楔形文字や筆記媒体としての粘土板の発明にも寄与した。しかし封泥自体は8世紀に紙が伝わり使用が一般化すると衰退し、代わりに蝋を用いて封をかける「封蝋」として生き残った。封蝋は重要な手紙の封緘や、条約締結書など最重要書類の署名を封じて改竄を防止するために使われるほか、高級ワインのボトルのラベルなど装飾目的でも使用されている。
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