装飾経とは? わかりやすく解説

装飾経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)

院政期文化」の記事における「装飾経」の解説

院政期には、浄土教広がり末法思想影響によって人びと極楽往生願い善美尽くした装飾経が競って作成された。この時代代表作として、大治元年1126年)に藤原清衡発願して作成した紺紙金銀一切経』や平氏一門厳島神社奉納した平家納経』がある。 「扇面古写経」(扇面法華経冊子)は、12世紀末葉流行した装飾経のひとつで、自然や風俗えがいた扇形紙面扇面料紙)に法華経写したのである大阪市四天王寺東京国立博物館などに所蔵されている。中央おりたたみ扇形半分表紙前後につけられている。その下絵には京都における民衆の生活が大和絵の手法によって生き生き描き出されている。 『平家納経』は、長寛2年1164年)、平清盛重盛らが平氏一族繁栄願って安芸厳島神社奉納した33巻の装飾経である。一族分担して奉納し各巻とも水晶金銀透彫りの金具ほどこした軸首や金銀砂子(すなご)・切箔(きりはく)などを多用した料紙、あるいはまた紐などに当時工芸技術伝えている。また、金銀彩色され表紙見返しには唐絵大和絵の手法によって装飾画が描かれている。経典内訳は『法華経30巻、『阿弥陀経1巻、『般若心経1巻平清盛自筆願文1巻であり、さらに経箱唐櫃をともなう。平氏貴族的一面をあらわす遺物であるとの評価もある。 『紺紙金銀一切経紺紙金銀字交書一切経)』は、紺紙に銀で罫線を引き、金泥銀泥一行ごとに交互に経文書いた装飾経である。藤原清衡発願によって書写された「中尊寺経」と呼ばれる経巻のひとつで、永久5年1117年)より8年かけて完成した見返しには金銀泥で釈迦説法図や経意を表している。「一切経」とは仏教における全経典(大蔵経)を意味しており、もとは5,300前後にもおよんだ考えられるが、その多く安土桃山時代高野山移り、現在では15巻のみが中尊寺に、4,296巻が高野山金剛峯寺それぞれ伝わっている。 『久能寺経』は現存最古一品経法華経二十八品を一巻毎に書写したもの)。静岡市久能寺(現在は鉄舟寺)に伝来したもので、久能寺所有しているものは東京国立博物館寄託してある。永治2年1142年待賢門院出家に際して鳥羽法皇美福門院をはじめ、近臣女房らが加わった逆修供養のために結縁書写された。元は法華経二十八品に開教結経加えた三十巻か、或いは更に『阿弥陀経』『般若心経』を加えた三十二巻本だったと想定される鉄舟寺にはそのうち17巻伝わっており、他に五島美術館2巻重文)、東京国立博物館3巻重文)、個人4巻国宝[1])の計26巻が現存している。鉄舟寺所蔵品員数19巻だが、そのうち陀羅尼第二十六普賢菩薩勧発品第二十八2巻は補配本見なされる

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「装飾経」を含む「院政期文化」の記事については、「院政期文化」の概要を参照ください。

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