被害者Aの遺族・関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:18 UTC 版)
「JT女性社員逆恨み殺人事件」の記事における「被害者Aの遺族・関係者」の解説
生前のAと親しかった弁護士の中島通子は事件後、遺族の代理人として各新聞社にプライバシーの保護を訴え、取材を拒否していたが、第一審判決後に「このまま風化させていいのか」と神足裕司らの取材に応じた際、逆恨みという動機が「保険金や身代金など金銭目当てでない」として、死刑回避の理由の1つとなったことについて強い不満を表明していた。また、事件から1年となる1998年4月18日には、「東京ウィメンズプラザ」(東京都渋谷区)でAの友人ら約100人がAを偲んで「わたしたちは忘れない わたしたちは許さない 女性への暴力」という集会を開催したが、同集会に出席した中島は、日本には当時、犯罪被害者を守る法的措置が犯罪被害給付制度しかなかったことを指摘した上で、落ち度を責められるなどの『セカンドレイプ』から被害者を守るための施策として、犯罪被害者救済法や性暴力禁止法などの制定、マスコミによる人権侵害の禁止、サポートセンターの設立などを提言している。また、同集会に出席したヤンソン柳沢由実子(評論家)は、本事件を「女性に対する暴力の普遍的な問題」と位置づけた上で、今後の対策として「性暴力は、性という手段を使った一方的な襲撃。身近な人に相談されたときは訴えた人の話を信じ、終始一貫して支持することが大切」「泣き寝入りしたくない女性は、裁判などの知識を得たり、住所、職場を変えたりなどの対策も必要」と訴えた。 Aの弟(埼玉県在住)は事件後、「犯罪被害者の人権を考える」という特集記事を執筆するため、全国各地で犯罪被害者やその家族からの取材を行っていた『西日本新聞』(西日本新聞社)の記者に対し、「まだ気持ちの整理ができず、仕事にもやっとの思いで出ている状態」と明かした上で、以下のような手紙(弁護士代筆)を送っている。 「被害者の人権を擁護する立場から良い記事が掲載されることを願っていますが、悲しみはあまりにも大きく、それを乗り越えるにはまだまだ長い歳月が必要です。それまでは、ただそっとしておいてほしいという気持ちです」 — 被害者女性Aの弟(代理人弁護士代筆)、『西日本新聞』 (1999) その後、彼は代理人の中島を通じて、「遺族に一言の謝罪もなく、弁護士にうながされるまま発した口先だけの言葉を判決の中で『謝罪』と言われてもとうてい納得できず、遺族全員が強い怒りを持っています」というコメントを出している。
※この「被害者Aの遺族・関係者」の解説は、「JT女性社員逆恨み殺人事件」の解説の一部です。
「被害者Aの遺族・関係者」を含む「JT女性社員逆恨み殺人事件」の記事については、「JT女性社員逆恨み殺人事件」の概要を参照ください。
- 被害者Aの遺族・関係者のページへのリンク