行脚企画
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2003年「日本列島徒歩縦断」に挑戦。単独で北海道稚内〜九州鹿児島まで3000キロを97日間で完歩。稚内市役所スタート⇒留萌⇒札幌⇒長万部⇒函館(青函フェリーにて)⇒青森⇒秋田⇒酒田⇒村上⇒新潟⇒富山⇒金沢⇒福井⇒敦賀⇒京都⇒神戸⇒岡山⇒広島⇒下関⇒福岡⇒熊本⇒人吉⇒小林⇒宮崎⇒都城⇒国分⇒鹿児島市役所前(ゴール地点)到着のルートで歩いた。道中の各地にて、新聞・テレビ・ラジオ等に出演したり大道芸をしながらのお笑い列島行脚。主要地点に、東国原英夫、吉川敏夫、唯是一寿が応援に駆けつけた。「日本列島徒歩縦断」の偉業は、植村直己冒険館主宰の2003年植村直己冒険賞にノミネートされたり、Yahoo!ニュースで取り上げられたり、笑っていいとも!日刊スポーツ等で大々的に取り上げられた。なお、鹿児島ゴール後は、鹿児島から東京までヒッチハイクで帰った。 2005年には、「自転車(ママチャリ)四国88箇所お遍路巡り」に挑戦。現金を持参せず、道中に行う大道芸で得た収入のみで旅を続け、総距離1500キロに及ぶ四国88箇所お遍路を自転車で巡った。 2007年、ラジオ企画で「宮崎県自転車一周」を達成。自分の携帯電話の番号をラジオで公開。リスナーと触れ合いながら9日間かけて宮崎県内をママチャリで一周した。更に同年には、宮崎から東京まで1500キロを、高速道路は一切使わず、一般道路のみで39時間13分かけての宮崎から東京まで運転して帰った経験あり。(一般道で帰った理由は、東国原知事からもらった高速代4万円を浮かせるためである) 2009年、「宮崎県徒歩一周」に挑戦。宮崎県全28市町村を全部徒歩で周り、総歩行日数30日間、総歩行距離680キロに及ぶ宮崎県徒歩一周を達成。宮崎県庁をスタート⇒清武町⇒日南市⇒串間市⇒三股町⇒都城市⇒高原町⇒小林市⇒えびの市⇒野尻町⇒綾町⇒国富町⇒西都市⇒西米良村⇒椎葉村⇒五ヶ瀬町⇒高千穂町⇒日之影町⇒諸塚村⇒美郷町⇒延岡市⇒門川町⇒日向市⇒都農町⇒川南町⇒木城町⇒高鍋町⇒新富町⇒宮崎市県庁ゴールの順に歩いた。自身のラジオ番組で報告しながらの徒歩旅で、スタート時の県庁には、ラジオを聴いて3人が見送りに来たが、彼の30日間の歩きがリスナーの心に響いたのかゴール時の県庁には100人の出迎えを受けた。なお、宮崎県徒歩一周として全市町村を徒歩で周ったのは早川が史上初である。
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