蝦夷地幕領化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:07 UTC 版)
「蝦夷地」も参照 1799年(寛政11年)、東蝦夷地仮上知(1802年以降は永上知)が断行された。江戸幕府による蝦夷地幕領化は、 1799年から1806年までの東蝦夷地(日高国浦河郡以東、太平洋側から知床半島・国後島に至る地域)の上知 1807年から1821年までの松前地(和人地)・西蝦夷地(日本海・オホーツク海側)の上知 という2段階で実施された。幕臣近藤重蔵が蝦夷地幕領化論を強固に唱え、幕府側もそれを受けて蝦夷地経営と対ロシア帝国政策が単に松前藩一藩だけの問題では済まされないという判断を下した。以降、幕府は択捉・国後の両島に津軽藩・南部藩の藩士500名ずつを派遣させ、防衛警備にあたらせた。これが第1次幕領期である。 その後、粘り強い松前藩の復領運動などにより、1821年(文政4年)、蝦夷地は松前藩に返還された。 しかし、日露和親条約による箱館開港後は再び蝦夷地は幕府領となった(第2次幕領期)。1855年(安政2年)2月、幕府が松前藩に言い渡した上知の範囲は、「東西蝦夷地及乙部以西ノ八村木古内以東ノ各村」という広大なものであり、松前藩は知内村から江差五厘沢までの狭小な範囲のみ支配を許され、この範囲を除く蝦夷島のほぼ全域が箱館奉行の管轄下に入った。2度目の上知令を出した直後より、幕府は松前藩をはじめ津軽藩、南部藩、久保田藩、仙台藩の諸藩に警備区域を割り当てたが、1859年(安政6年)9月には、上記4藩に庄内藩と会津藩を加えた奥羽6藩に蝦夷地を分与し、その開拓と防衛にあたらせることとした。
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