蘆名盛隆(あしな もりたか) 1561~1584
蘆名盛隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/03 13:39 UTC 版)
蘆名 盛隆(あしな もりたか)は、安土桃山時代の武将。陸奥国の戦国大名。蘆名氏18代当主。
注釈
- ^ 二階堂氏から数えると18代当主。
- ^ 阿南姫の妹で叔母にあたる。
- ^ 垣内和孝は奥羽地方南部の大名家の特徴として、当主に後継者がいない場合は一族の庶流から当主を迎えることへの家中の抵抗感が強く、同格の大名家(郡規模以上の支配者)からの養子を迎えるケースが多かったことを指摘している(垣内和孝『伊達政宗と南奥の戦国時代』(吉川弘文館、2017年) ISBN 978-4-642-02938-4 P265)。
出典
- ^ 「伊達輝宗日記」「塔寺八幡宮長帳」など。『大日本史料』10編22冊256頁。
- ^ a b 七宮・222頁
- ^ 七宮・222-223頁、林・157頁
- ^ 林・157頁
- ^ 林・157-158頁、七宮・222-223頁
- ^ 七宮・223頁、『信長公記』に言及あり。
- ^ 七宮・223頁、林・158頁
- ^ a b 林・158頁
- ^ 七宮・223頁
- ^ 小林清治「政宗家督相続の前提」『伊達政宗の研究』(吉川弘文館、2008年) ISBN 978-4-642-02875-2 P22-27
- ^ 垣内和孝『伊達政宗と南奥の戦国時代』(吉川弘文館、2017年) ISBN 978-4-642-02938-4 P29
芦名盛隆
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会津の戦国大名。名前のみの登場。本間一族と結び上杉景勝を挟み撃ちにせんと企むが、越後に攻め込む前に伊達政宗との摺上原の戦いで大敗、滅亡した。史実では盛隆は佐渡攻めの5年前である1584年に死亡している。原作にも同様の記述がある。
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