自筆原稿の消失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:46 UTC 版)
モリエールの手紙や、自筆原稿は一切遺されていない。原稿に関しては、当時の出版社では、作者から原稿をもらって印刷にかけた後、それを保存しておく習慣はなかったため、これはモリエールに限ったことではなく、コルネイユやラシーヌの原稿も殆ど見つかっていない。手紙に関しては、相手が保存しておいてくれない限り残るものではないが、それにしてもパリで大成功を収めていた彼の手紙が1通も見つからないのは不自然である。実際、モリエールの本格的研究が始まった19世紀にはこのように考えた研究者が大勢存在したが、手紙が残っていない理由をはっきりさせることはできなかった。 だが、モリエールの死後しばらくの間は原稿が残っていた確証はある。モリエールの妻だったアルマンドが、俳優ゲラン・デストリシェと再婚してその間に儲けた息子、ニコラは1699年にモリエールの未完作品『メリセルト』を翻案し、『ミルティルとメリセルト』として出版した。以下はその序文からの抜粋である。 …私は震えおののきつつ白状しよう、三幕目は自分の作品であると。モリエールの書類の中にいかなる断片も着想も見つけられなかったまま私は仕事をしたのだ。何か少しでも彼がこうしようと計画を残してくれていたら、私はどんなに幸せだったろうか… この序文に見えるように、アルマンドがモリエールの原稿を所持していたことは明らかである。1700年にアルマンドが亡くなった後、ニコラが遺産を相続したものと考えられる。ニコラは結婚後、パリ郊外のフシュロールという街に居住したことがわかっているので、19世紀の研究者たちはこの街に大挙して押しかけ、何かないかと探し回ったが、何も見つけられなかった。 この件に関しては、真偽は不明だが逸話も伝わっている。1820年のある日、当時の王立図書館(現在のフランス国立図書館)の玄関前にフシュロールから来たという農夫が現れた。農夫はロバを伴って荷車を引かせており、「(荷車に)モリエールさんの書類がたくさん入っていますよ」と述べ、図書館の責任者に面会を求めたという。ところがその日は休館日で、一切の権限を持たない門番しかいなかったため、また来るように伝えて追い返してしまった。翌日になってこの話を聞いた図書館中は大騒ぎになり、慌てて新聞に広告を出したり、役所に連絡をしたり、あらゆる手を使って農夫を探したが見つからなかったとのことである。 この話を伝えたのは、シャルル・ノディエとかヴィクトリアン・サルドゥであるとか言われている。しかし、内容を裏付ける確証は一切ない。結局モリエールの手紙並びに自筆原稿が、どのように消失あるいは散逸したのか、わからないままである。
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