自殺説の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:04 UTC 版)
失踪の直後、平塚八兵衛が下山の自宅に事情を聞きに行ったところ、まだ遺体が発見される前だったが、妻は「ひょっとしたら、自殺じゃないかしら。自殺じゃなければ、いいんですが……」と言った。平塚はのちに「奥さんのこの証言をはっきり調書にとっておけば、他殺だなんて議論がでてくるわけがない。家族が一番よく知っているわけだよ」と回顧している。その後、平塚が東京鉄道病院の記録を調べたところ、下山は6月1日に神経衰弱症と胃炎という診断を受け、1日にブロバリン(睡眠薬)0.5グラムを2袋ずつ服用するなど、かなり重篤な状態であった。 下山には事件現場の土地勘もあった。現場はもともと鉄道自殺が多い場所だった。鉄道局長だったころの下山は、自殺対策がらみの仕事で地元と交渉するため、現場付近に来たことがあった。 事件前日に下山はあちこちの要人に面会したり面会を要請し、それらの先々で用件を言うでもなく他愛のない話などをして去っていた。ほかにも前日から当日朝(GHQより迫られた、解雇発表の期限)までの下山の行動に、抑鬱を思わせるものが多々ある(几帳面につけていた手帳が6月28日で途切れている、開館時間終了後の交通会館に管理人に鍵を借りて入り、品川の日本列車食堂レストランから弁当を届けさせて一人で食べるなど)。 鉄道自殺など一瞬で生命を絶たれる事案の場合、轢断面に出血がないこともある。胸部は離断していないにもかかわらず内部の臓器が粉砕されており、これは轢過よりも立った状態での激突が疑わしい(北大・錫谷説)。 ルミノール検査は現場からロープ小屋までしか行われていない。当時の列車のトイレは垂れ流で、線路ならどこでも女性の経血で血痕ができるという説もある。またロープ小屋は細長い建物で大部分は壁がなく、犯行には不適である。ただしこの説に対しては殺害現場が別にあり、殺害後の下山の遺体をここに運び込んだという説明も成立する。 下山総裁一家と親しい間柄であった吉松富弥の証言[信頼性要検証]では、総裁死亡数日前に直接本人より「GHQから国鉄職員大量解雇の指示があって、弱ってるよ」との話を聞き、死亡当日には妻より「自殺したのだと思う」との言葉を聞いている。吉松は証言の中で、自殺とするより他殺にしておく形の方が日本国全体、GHQ、さらには下山家にとってもベターな選択だったのではないか、と述べている。 事件直前に轢死現場付近で下山と酷似する人物が1人で何か植物を掴むのが目撃されており、下山の上着のポケットから轢死現場付近の植物であるカラスムギが発見されている。ただし、これには替え玉が下山の上着を着て現場周辺を歩き回り、轢断前に下山の遺体に着させたという説もあり、自殺の根拠としては弱い。
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