自動車評論家・徳大寺有恒へ
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「徳大寺有恒」の記事における「自動車評論家・徳大寺有恒へ」の解説
その後は、タクシー運転手などで生計を立てた後、フリーランスとして文筆業を開始した。ファッション雑誌「チェックメイト」(講談社)のライターを経て自動車評論家に転身、1976年「徳大寺有恒」の筆名で自動車批評本『間違いだらけのクルマ選び - 良いクルマを買うための57章+全車種徹底批評』(草思社)を出版した。一冊目(1976年版)には老舗誌「モーターマガジン」のテスターとして「杉江博愛」の名も登場。さりげなく同誌やテスター陣を褒めるかのような表現がなされている。 急激なモータリゼーションを経て大型消費財へと変貌していた当時の自動車を批判的に評論した『間違いだらけのクルマ選び』は1976年(昭和51年)に77万部が販売され、「間違いだらけの○○」というフレーズは自動車の世界に留まらない流行語となった。その後も毎年版を重ね、毎年ベストセラーの上位にランクインした。 一方で、匿名を用いて本を出版したことに対し、当時の自動車業界からの反発は大きかった。当初「徳大寺有恒」という人物が誰なのかは秘密で、各方面でその正体が話題になっており、名前が似ていることから豊田有恒の変名と疑われたこともあったが、文体や諸事情から「杉江博愛だろう」と囁かれていた。そして、「この杉江をAJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)から追放しよう」という声があがった。徳大寺はAJAJを脱退。記者会見を開き、自身が「徳大寺有恒」であることを公にした。 イラストは創刊から穂積和夫が担当。内容はユーザー側の視点で評論することを基本としていたが、日本の自動車メーカーに対してアドバイスするような内容が多くみられた。 車種別のタイトルは筆者ではなく編集部が付けたものである。そのため、ときとして筆者の本意とは違う印象を与えることがあった。巻末にはジャンル別に採点表が掲載され、これは筆者の主観に基づいた内容であるとの断りを入れている。5点満点評価や0.5点刻みによる10点満点評価の時代もあった。 全メーカー全車種を掲載することを原則としていたが、席が最前部にある商用車ベースのワンボックスカーは、衝突安全をクリアすることが困難なため「危険な車種である」として1980年代後半以降は載せないようにしていた。また、商用車そのものを登場させることも皆無なため実際に売れていた軽ボンネットバンは出さずクオーレやセルボといった軽セダンを掲載させていたが、2012年版では特別にサンバーバンの説明が掲載された。 2000年度版からは年2回刊行となり、本人の多忙さと、日本の自動車会社のマーケティングの戦略上車種が増えすぎたゆえ、一部の車種しか載せないようになっていた。
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