臨済と普化
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『臨済録』の「勘弁」編に登場する禅僧の普化(ふけ)(生没年不詳、普化を始祖とする宗派に普化宗がある)は、大悟したはずの臨済の上を行く存在として、重要な役割を演じている(臨済がシテの立場であるとするなら、普化はワキの役どころである)。ただし、その言行には異様なものが多く、風狂僧や神異僧の部類に属する。 ある日、臨済は普化と共にお斎(とき)(法要の食事)に信者の家へ招かれた時、「一本の髪の毛が大海を呑み込み、一粒の芥子(けし)の中に須弥山(しゅみせん)(世界の中心にあるとされる想像上の山)を収めるというが、これは不思議な神通力の働きなのか、それとも、もともと当たり前のことなのかね」と普化に問うた。すると普化はいきなり食卓を蹴倒した。臨済は「なんと荒っぽい奴だ」と言うと、普化は「ここをどこだと思って荒っぽいの穏やかのと言うのか」と言った。その翌日、また臨済は普化と共にお斎に招かれた。臨済は「今日の供養は昨日のと比べてどうかね」と言うと、普化はまた食卓を蹴倒した。臨済は「それでよいにはよいが、何と荒っぽいやつだ」と言うと、普化は「盲め!仏法に荒っぽいの穏やかのがあるものか」と言い、思わず臨済は舌を巻いた。 ある日、臨済は河陽・木塔の二長老と一緒に僧堂の囲炉裏を囲んで坐っていたとき、「普化は毎日、町の中で気狂いじみたまねをしておるが、いったい凡人なのだろうか、それとも聖人なのだろうか」と噂をしていた。すると、言い終わらぬうちに普化がやってきた。そこで臨済は問うた、「そなたは凡人なのか、それとも聖人なのか」。すると普化は「まずあんたが言ってみなさい。おれは凡夫かそれとも聖者か」と臨済に言った。そこで師は一喝した。すると普化は三人を指をさしながら「河陽は花嫁、木塔はお婆々。臨済はこわっぱながら、いっぱしの目を持った子だ」と言った。臨済は「この悪党め!」と言うと、普化は「悪党!悪党!」と言って出て行った。 ある日、普化は僧堂の前で生の野菜を食べていた。これを見た臨済は言った、「まるでロバそっくりだな」。すると普化は「メー」と鳴いた。臨済は「この悪党め!」と言うと、普化は「悪党!悪党!」と言うなり、さっと出て行った。 普化はいつも街で鈴を鳴らしてこう言っていた、「明で来れば明で始末し、暗で来れば暗で始末する。四方八方から明と暗とが共々やってきたら旋風のように応じ、虚空から来れば釣瓶打ちで片付ける」と。臨済は侍者をやって、普化がこう言っているところをつかまえて「そのどれでもなく来たらどうする」と言わせた。普化は侍者を突き放して言った、「明日は大悲院でお斎にありつけるんだ」。侍者が帰って報告すると、臨済は言った、「わしは以前からあの男は只者ではないと思っていた」。 普化はある日、街に行って僧衣を施してくれと人びとに頼んだ。皆がそれを布施したが、普化はどれも受け取らなかった。臨済は執事に命じて棺桶一式を買いととのえさせ、普化が帰ってくると、「わしはお前のために僧衣を作っておいたぞ」と言った。普化はみずからそれをかついで、町々をまわりながら叫んだ、「臨済さんがわしのために僧衣を作ってくれた。わしは東門へ行って遷化するぞ」。町の人が競って後について行くと、普化は言った、「今日はやめた。明日南門へ行って遷化しよう」。こうしたことが三日も続くと、もう誰も信じなくなり、四日目には誰もついて来る者がなかった。そこで普化はひとりで町の外に出て、みずから棺の中に入り、通りがかりの人に頼んで蓋に釘を打たせた。この噂はすぐに広まった。町の人たちが先を争って駆けつけ、棺を開けてみると、なんと普化はもぬけのからであった。ただ空中を遠ざかっていく鈴の音(ね)がありありと聞こえるだけであった。
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