臨済宗として開山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:52 UTC 版)
「瑞應寺 (岐阜県笠松町)」の記事における「臨済宗として開山」の解説
1664年(寛文4年)に笠松草分け八人衆の一人、廣瀬荘右衛門が即禅智性禅師を姫路の真禅寺から開山として迎え、笠松町新町に創建する。 江戸時代は笠松郡代(美濃郡代)と関係が深く、過去帳には歴代の美濃郡代のうち、4代・名取半左衛門長知、12代・青木次郎九郎安清、13代・千種清右衛門直豊、14代・千種六郎右衛門惟忠、17代・鈴木門三郎正勝の名が記されている。 1758年(宝暦8年)、禅宗の中興の祖と称せられる白隠慧鶴禅師(当時74歳)が法演している。 1891年(明治24年)の濃尾地震によって伽藍が失われたが、再建された。 1923年(大正12年)に区画整理に伴い現在地に移転。 寺内には観音堂の他に太子堂がある。 太子堂には聖徳太子と弘法大師が祀ってあり、美濃四国31番札所として巡礼の対象となっている。
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