能州電気設立後
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1920年代に入ると能登半島でも事業統合が進展し、まず1920年(大正9年)、七尾電気・輪島電気とさらに2つの電気事業者が合同して能登電気(七尾町)が発足する。続いて富来電気・和倉電気・中島電灯・穴水水力電気の4社の関係者によって、翌1921年(大正10年)7月3日、能州電気株式会社が設立された。資本金は200万円で、富来電気社長の礒又三郎が社長を務める。新会社能州電気はまず小松電気能登支社より事業を引き継いだ。事業引き渡しは設立2か月前の5月6日付で完了している。次いで1921年11月2日付で富来電気・中島電灯・和倉電気・穴水水力電気の4社事業譲受けを逓信省から認可され、12月15日富来電気、22日中島電灯、翌1922年(大正11年)1月8日和倉電気、2月10日穴水水力電気の順に事業譲受けを完了した。 能州電気では金沢から穴水まで送電線を伸ばした金沢市営電気から受電するようになり、1923年(大正12年)までに全発電所を廃止した。受電は中島村と穴水町の2地点にて、合計400キロワット(1926年5月末時点)。穴水から先は珠洲郡飯田町(現・珠洲市)まで自社送電線が伸びた。また1928年(昭和3年)1月には離島能登島の配電工事が落成、約1300灯の電灯を島内に取り付けた。 1924年(大正13年)8月、鳳至郡町野村など同郡東部の8村を供給区域とする鳳至電気が開業した。同社の供給区域は能州電気区域に東西を挟まれる(西は能登電気区域にも接する)というものであった。発電所を持たない鳳至電気に対し、能州電気は60キロワットの電力を供給していた(1926年5月末時点)。 1926年(大正15年)12月、七尾の能登電気が富山市の富山電気(後の日本海電気)へと合併された。これに対し能州電気は、1年半後の1928年5月31日付で高岡市の高岡電灯に合併された。合併に際し、能州電気の業績が高岡電灯に比して劣ることから、株主利益を無視するとして高岡電灯の株主から反対意見が出、1927年12月1日合併予定であったのが半年遅れたという。合併直前、同年3月末時点における能州電気の供給実績は電灯取付2万7018灯、電力供給415馬力であった。翌1929年(昭和4年)10月には羽咋郡にも供給する石動電気も高岡電灯に合併されており、その結果、能登4郡はほとんどが日本海電気か高岡電灯という富山県側の電力会社の供給区域となり、その上両社の供給区域が交錯する地域となった。なお鳳至電気も遅れて1938年(昭和13年)10月高岡電灯へ統合されている。
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