繁栄と停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 04:38 UTC 版)
「スコッチ・ウイスキー」の記事における「繁栄と停滞」の解説
1870年代から1880年代にかけ、ヨーロッパではフランスのブドウがフィロキセラと呼ばれる虫によって壊滅的な被害を受け、ブドウを原料とするワインとそれを蒸留して造られるブランデーの生産が不可能となった。これをきっかけにブレンデッドウイスキーは英国首都ロンドンの上流・中産階級に飲まれるようになり、さらにイギリス帝国全域に普及していった。1877年にグレーンウイスキー業者6社が設立したDCL社(現・ディアジオ)はスコッチ・ウイスキーの輸出を推し進め、ワインとブランデーの流通が再開するまでの間に世界各地に市場を確立することに成功した。1890年代はスコッチ・ウイスキー最初の繁栄期と評されるが、蒸留所の建設が相次ぎ生産過剰となったことで1898年にブレンド会社大手のパティソンズ社が倒産。その影響が業界全体に波及したことで繁栄期は終わりを迎えた。なお19世紀後半にはガラス製品の大量生産が可能になったことにより、ウイスキーを詰める容器としてガラス瓶が定着するようになった。 1905年にロンドンイズリントン地区の裁判所が、グレーンウイスキーおよびそれを混ぜて作られたブレンデッドウイスキーはスコッチ・ウイスキーではないとする判断を下し生産者に衝撃を与えた。1908年から1909年にかけて生産者の要求で開かれた王立委員会においてグレーンウイスキーおよびブレンデッドウイスキーもスコッチウイスキーであるという結論が出された。前述したスコッチウイスキー法におけるスコッチ・ウイスキーの定義は、この時の結論を引き継ぐ形で定められている。 ウイスキーを入れる容器の蓋には長らくコルク栓が用いられていたが、ワインと異なり瓶の中で熟成することがなく、また開栓後すぐに飲みきれるわけではないウイスキーには不向きであった。1913年、ウィリアム・ティーチャーズ社が木製頭部付きのコルク栓を、1926年にホワイトホース社が金属製のスクリューキャップ(英: Screw cap)を発明。この2つの発明により、ウイスキーの売り上げは飛躍的に伸びたといわれている。しかしながら同時期に2度の世界大戦と世界恐慌、さらにアメリカ合衆国における禁酒法により被った損害も大きく、多くの蒸留所が閉鎖を余儀なくされた。
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