絹本著色益田元祥像〈狩野松栄筆/〉
主名称: | 絹本著色益田元祥像〈狩野松栄筆/〉 |
指定番号: | 1887 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 如天元勲の賛がある |
員数: | |
時代区分: | 桃山 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 連錢葦毛の馬に乗り、手綱をとる甲冑姿の武将像である。兜、腹巻、大袖、喉輪はすべて銀小札の萌黄縅、籠手、佩楯、臑当は金色という華やかな出立ちである。腰には黄金造梨地家紋蒔絵の太刀をさすが、藤丸に久字の家紋は甲冑や鞍のあちこちに認められる。 像主は益田家第二十代当主、益田元祥(永禄元年・一五五八-寛永十七年・一六四〇)である。全牛紹〓大居士は元祥の法名である。元祥はまた「牛庵」とも号したが、箱書には「牛庵様御寿像」とある。益田氏は石見国益田を本拠とし、毛利家と同盟を結び、この元祥の代に永代家老の地位を得ている。元祥は天正元年(一五七三)に初陣して以来、度々の合戦に功名をあげており、本図はその雄姿をえがいたものと思われる。 本図は武将像として類例の少ない甲冑騎馬像として注目されるが、同時に「直信」印の存在によって狩野松栄(永正十六年・一五一九-文禄元年・一五九二)の手になる肖像画として特に重視される。松栄の肖像画の作例としては『兼見卿記』によって元亀三年(一五七二)十月に制作された「吉田兼右像」があったことが知られているが、残念ながら現存が確認できず、いまのところ本図が唯一の作例ということになる。 賛文は山口の正宗山洞春寺の住職、如天玄勲(慶安四年・一六五一没)の手になるもので、彼が同寺住職になった時期から考えて、元祥没後の後賛と考えられ、制作期の判断材料とはならない。ただし、松栄の作画の記録がさきの元亀三年(一五七二)の吉田兼右像が最後であることや、天正十一年(一五八三)ごろにえがかれた長興寺の「織田信長像」が次代の狩野元秀によってえがかれていることからすると、本図の制作はこの間のことと推測される。いずれにせよ筆に若干の震えがあり、松栄の晩年の作と考えられる。 元祥は胸に掛絡をさげている。禅宗に帰依した武将の出陣の装いとしてその心が察せられる。 |
このページでは「国指定文化財等データベース」から絹本著色益田元祥像を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から絹本著色益田元祥像を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から絹本著色益田元祥像を検索
Weblioに収録されているすべての辞書から絹本著色益田元祥像を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から絹本著色益田元祥像を検索
- 絹本著色益田元祥像のページへのリンク