絵本と挿し絵
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1964年、上京の目的だった図鑑挿絵の仕事がなくなってとまどい落胆する薮内に、松居はソビエト連邦(現・ロシア連邦)の動物文学者ビアンキの作品「小ねずみピーク」と「くちばし」を示して絵本制作を勧める。 1965年10月、初めての絵本『くちばし』がこどものとも115号として配本される。さまざまな形のくちばしをもつ鳥たちが精確かつ生き生きとえがかれた作品となった。松居はこの絵本を「処女作とは思えぬ重厚な作品」「新しい特筆すべき動物絵本作家の登場」と高く評価する。 1966年11月、福音館の幼児絵本『どうぶつのおやこ』(薮内画)が出版される。「子どもがはじめてであう絵本」として、背景を省略し余白を生かして動物たちの姿を明確にイメージ化した「ほんものを感じさせることができる絵」であり、そのころ主流であったおもちゃのような動物絵本とは一線を画するものであった。 1969年4月、松居は子どものための新しい科学の絵本として「かがくのとも」を企画し、その創刊号に、科学的かつ子どもの好奇心を誘う力を持つ絵が描ける画家として薮内を起用し、彼の挿絵による『しっぽのはたらき』(川田健文、今泉吉典監修)を配本する。 1970年の西脇昌治著『くじら』(福音館の科学の本)では、科学の絵本としての精確さを持ちながら「劇的な物語性のある画面」を作ることに成功している。薮内も会員であった日本哺乳動物学会の会誌「哺乳動物学雑誌」によれば,同じく会員であった西脇昌治の所属が1965年に東京大学海洋研究所に所属変更されている。 1970年、斎藤惇夫の児童文学「ガンバの冒険」シリーズ第一作『グリックの冒険』(斎藤惇夫 作、浜書店)の挿絵を描く。斉藤は「動物を誤りなく正確に、しかも生き生きと躍動的に、さらに物語の担い手としての表情も描くことのできる画家」と薮内を評し、さらに薮内から八丈島のイタチの由来や絶滅に瀕しているニホンカワウソの話を聞いたことが、のちの『冒険者たち』や『ガンバとカワウソの冒険』を生むきっかけになったと回想する。
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