経涯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:02 UTC 版)
「M・A・K・ハリデー」の記事における「経涯」の解説
ハリデーはイングランドのリーズ市に生まれた。父は英語教師で文法学者であった。中等学校を卒業後、東洋アフリカ研究学院内のJ・R・ファースが率いる外国語集中訓練コースで中国語を学んだ。ハリデーの言語理論はファースの強い影響を受けている。第二次世界大戦中であったために兵役につき、6か月の軍事訓練を受けたのち、インドへ赴く。しかし1年あまりでロンドンに呼びもどされて、外国語集中研修の指導にあたった。 1947年に兵役を終えると、中国へ渡って北京大学で英語を教えつつ、中国文学・古典中国語などを学んだ。その後、嶺南大学で王力の指導を受けつつ、博士論文を書く目的で現代中国語の文法データを収集した。1950年にイギリスに帰国したが、当時吹きあれていた赤狩りのためにファースのいたロンドン大学で職を得ることができず、ケンブリッジ大学に赴く。当時のケンブリッジでは現代中国語文法は研究対象外であったため、『元朝秘史』の言語の研究によって1956年に博士号を取得した。 1963年にユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのコミュニケーション調査研究所所長に就任し、英語の言語学的特性と英語教育に関する研究を行った。1965年から1970年まで一般言語学教授を兼任した。1973年からイリノイ大学の言語学教授、1976年からシドニー大学言語学部の学部長に就任し、1987年に退官するまでその職にあった。そのため、1976年からはオーストラリアが活動の中心となり、またハリデーの一般言語学上の主要な著作はシドニー大学時代に発表された。 1978年に初来日した。このとき行った講義が著書『機能文法のすすめ』(Language, Context and Text)の元になっている。その後何度も日本を訪れている。 2018年4月15日、老衰のためシドニーで死去。93歳没。
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