第5回(1991年)FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91
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1991年7月20日21:00 - 翌日21日20:54 総合司会は桂三枝(現・六代桂文枝)、フジテレビアナウンサー(当時)有賀さつき・八木亜希子の3人。フジテレビアナウンサーの総合司会起用は現時点で1991年が最後となっている。日本の総人口に合わせ、タイトルが若干変更された。 テーマは「戦い」で、番宣広告やオープニングの挨拶などではタイトルの後に「24時間ぶっ闘志」(「ぶっ通し」と「闘志」をかけたフレーズ)という副題がつけられていた。 通し企画は『東京さ行くだ!クイズ』。松本明子・牧原俊幸が札幌から、吉村明宏・木幡美子(途中からデーモン小暮のものまねをした太平シローが参加)が鹿児島からFNS各局の代表として一般人を大型バスに乗せ、各地で勝ち抜け方式のクイズをしながら東京を目指す企画。北ルートはゴールしたが、鹿児島からの南ルートは渋滞に巻き込まれ河田町のフジテレビまでたどり着けず、バス車内(八王子市・中央道石川パーキングエリア)でエンディングを迎えることになった。 昼のBIG3企画『BIG3闘いゴルフ対談』はスタジオに小さなゴルフ練習場を作ってゴルフ対決。ここでたけしとタモリがさんまの自慢のクラブを壊そうと暴走。その後のフリートークで「誰が一番車の運転が上手いか」という話になり、さんまのレンジローバーを使って車庫入れをしようということになる。しかしたけしが暴走し、さんまのクラブで車体に傷をつけ、車庫入れではブロック塀でつくられた車庫に激突、さんまのレンジローバーはボロボロになってしまう。そしてこの因縁は翌年以降も続くことになる。 ニュースゾーンは夜が山田邦子司会の『FNN NEWSCOMスペシャル』、夕方は武田鉄矢司会の『FNNスーパータイムスペシャル』でどちらとも本番組のスタジオから放送され、露木がアシスタントを務めた。 深夜のゲーム大会は、前年に引き続きクイズに答えると女性が一枚ずつ服を脱いでいくというもの。そのスタジオに男性タレントのほか、スタッフまでもやってきて大はしゃぎし、番組のゼネラルプロデューサーの横澤彪も駆けつけた。 この年は三枝が脚本を書いたよしもと新喜劇も放送された(会場はなんばグランド花月)。 FNS各局対抗企画は「戦う!ビデオ大賞」。グランプリは岡山放送、準グランプリは山形テレビ、審査員特別賞は新潟総合テレビとなった。 この年開局した岩手めんこいテレビがネット開始。 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは近藤サト・小泉陽一・中村江里子の男性1人・女性2人の合計3人。 エンディングは紙テープと紙吹雪が舞う中、司会の3人が涙しながら感謝を述べつつ終了した。
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