第5の哨戒 1945年7月 - 8月・神風との死闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/15 13:50 UTC 版)
「ホークビル (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1945年7月 - 8月・神風との死闘」の解説
7月12日、ホークビルは5回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。7月18日昼過ぎ、ホークビルは北緯04度10分 東経106度30分 / 北緯4.167度 東経106.500度 / 4.167; 106.500のマレー半島テンゴール岬沖でシンガポールからハッチェンに向かう輸送船団を発見した。同じ頃、船団を護衛していた駆逐艦神風の見張り員が右舷横2,000メートルにホークビルの潜望鏡を発見。19時を回って神風が攻撃態勢に入ろうとしたその時、ホークビルは艦首発射管から魚雷を6本発射した。しかし魚雷は神風の両側を通過して命中せず、しかもそのうちの1本は異常な動き方をしていた。20分後、神風がホークビルを探知して距離を詰めていったので、ホークビルは神風が800メートルに近寄ってきたところで魚雷を3本発射。しかし、この攻撃も失敗し、1本は神風の左舷側わずか2メートルのところをかすめ去った。ホークビルは神風の至近を潜望鏡深度で通過。神風からは手の届くほどの近さであった。神風が爆雷攻撃を開始すると、有効弾がありホークビルは神風から200メートル離れた場所で艦首を海上に急角度で突き出した。神風はこの機を逃さず艦尾の40ミリ連装機銃をホークビルに向けて発射。スキャンランド艦長も観念して5インチ砲による浮上砲戦を決しようとしていた。しかし、間もなくホークビルの艦首は海中に没して、深度33メートルの海底に沈座した。神風は水面上に浮かんできた木片や油膜からホークビルをおおむね撃沈したものと判断し、19時過ぎまで探査と爆雷攻撃を繰り返した。この間、ホークビルでは神風が上部を通過するたびに「最後の時が来た」と腹をくくっていた。やがて、神風は船団を追ってこの海域を去っていった。ホークビルは7月19日になってすぐに浮上したが、ジャイロコンパス、温度計、減速装置が破壊され、無線装置や音響兵器も使い物にならなくなった。ホークビルは哨戒を一旦中止し、スービック湾で修理を行った。スービック湾へ向かう途中、再び神風が護衛する輸送船団と遭遇したが、今度は何事もなかった。修理後に哨戒を再開したホークビルは、特別任務のためのオーストラリア陸軍士官を乗艦させていた。8月9日と10日には、ホークビルはタンベラン諸島とジュマジャ島にある2つの無線所を艦砲射撃で破壊し、タランパに部隊を上陸させて沿岸施設を破壊した。その後はアナンバス諸島での偵察および南シナ海での哨戒を行った。8月19日、ホークビルは31日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。 戦後、ホークビルのスキャンランド艦長は神風の春日均艦長(兵59期)と1953年以来幾度か文通し、春日艦長を「最も熟練した駆逐艦艦長」として称えた。これに対し春日艦長は「今思うと、沈めんでよかったです。何かこれでほッとした気持です」と述懐した。
※この「第5の哨戒 1945年7月 - 8月・神風との死闘」の解説は、「ホークビル (潜水艦)」の解説の一部です。
「第5の哨戒 1945年7月 - 8月・神風との死闘」を含む「ホークビル (潜水艦)」の記事については、「ホークビル (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第5の哨戒 1945年7月 - 8月神風との死闘のページへのリンク