第4回(1990年)FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'90
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1990年7月21日21:00 - 翌日22日20:54 過去3回の総合司会はタモリと明石家さんま、笑福亭鶴瓶が務めていたが、鹿内宏明会長の意向もあり1990年は当時のフジテレビアナウンサーのみで全コーナーを担当した。総合司会は須田哲夫と河野景子。フジテレビアナウンサーのみの総合司会は今回限りとなっている(ただし、局アナメインは第5回まで続いた)。芸能人中心から局アナ中心の番組構成に変わったことから、当日ゲスト出演した上岡龍太郎に「経費削減に走りおった。」と揶揄された。 前年不参加の鹿児島テレビがこの回から、2年ぶりにネット復帰(以降は毎年参加)。 テーマは「おたく」("家"と"マニア"を指す)。宅八郎など典型的なマニアが登場した。この年から今日の『27時間テレビ』まで続く『通し企画』が始まりその第1回目として『24時間以内に家を建てる』という無謀な企画を東海林のり子のリポートで行った。フジテレビをはじめとするFNSの各アナウンサーが、全国の家を回った。 冒頭では、当日封切りとなった映画『タスマニア物語』公開にちなみ、主演の田中邦衛と薬師丸ひろ子が登場。『タスマニア物語』ロケ地となったオーストラリアタスマニア州の家から陣内誠が中継リポートを行った。 この年から昼のBIG3の企画がスタート。今回は『ビッグ3おたく座談会』と題して昭和30年代の家をイメージしたセットの中でかつて各々が住んでいたアパートの写真をもとにトーク。当時、タモリが船舶免許を取得。この年の放送中である日曜早朝に「ヨット乗船中、額を強打し4針縫うけがをした」という情報が入ったが、当のタモリ本人は額に絆創膏を付けて『笑っていいとも!増刊号スペシャル』とBIG3コーナーに元気に出演。進行役の露木茂がコーナー終盤に、フジテレビアナウンサー(当時)の一員として不眠不休だったことや爆笑のあまり、よだれをこぼす失態を起こした。 深夜のゲーム大会は、クイズに答えると女性が1枚ずつ服を脱いでいくというもの。そういう企画のため、そのスタジオに男性アナウンサー達が大勢やってきて大はしゃぎし、ついには露木茂も駆けつけ、コーナーが終わってもスタジオから戻って来ず、皆あきれていた。 深夜の『FNN NEWSCOMスペシャル』は、通常キャスターの川端健嗣・島森路子が、銀座にある川端の実家のたばこ屋(川端たばこ店)内からの生中継でニュースを伝えた。実際に放送中・CM中に、川端自身も商品のたばこを売っていた。しかし、ニュース放送中にもかかわらず、いたずら電話と思わしき電話が鳴り響き、原稿を読んでいた川端が幾度か電話を止めるハプニングもあった。その直後の『プロ野球ニューススペシャル』では当時『志村けんのだいじょうぶだぁ』のレギュラーであった松本典子と平日担当の野崎昌一と土日担当の中井美穂が司会を務め、解説担当の柴田勲自宅からの生中継でその日の試合結果を伝えた。 日曜朝の『笑っていいとも!増刊号』は当時番組AD・印田弘幸(後にディレクター)の自宅アパートからの中継。狭い部屋にウガンダ、吉沢孝明、照明スタッフ等が密集し、暑い中での中継。さらにウガンダら部屋を物色され、進行役の中井の目の前でアダルトビデオのVHSパッケージをオンエアされてしまう。 夕方の『FNNスーパータイムスペシャル』は通常キャスターの黒岩祐治・小田多恵子が海部俊樹内閣総理大臣(当時)自宅(つまりは首相公邸)敷地内からの生中継でニュースを伝えた。 FNS企画は「全国美人妻コンテスト」。第3位が石川テレビ、第2位がサガテレビ、優勝がテレビ静岡。 この年から『ちびまる子ちゃん』がアニメパートとして放送開始。 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは大坪千夏・長坂哲夫・松井みどり・吉田伸男の男女2人ずつの合計4人。
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