第3の哨戒 1945年7月 - 8月・喪失
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「ブルヘッド (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1945年7月 - 8月・喪失」の解説
7月31日、ブルヘッドは3回目の哨戒でキャピタイン (USS Capitaine, SS-336) 、パファー (USS Puffer, SS-268) と共にウルフパックを構成し南シナ海に向かった。この哨戒では9月5日までジャワ海と南シナ海を偵察した後スービック湾に帰投する予定であった。ブルヘッドは8月6日にロンボク海峡を通過したと報告した。それがブルヘッドからの最後の通信であった。8月12日、キャピタインは自艦の8月13日の哨区到着を予定し、ブルヘッドに対しキャピタインとパファーの偵察ラインを翌日から引き継ぐよう通信を行った。これに対する応答はなく、8月14日にキャピタインは「担当海域に到着以来、あらゆる手段を行ってもブルヘッドと連絡を取ることはできなかった」と報告した。当時、ジャワ海にはブルヘッド、キャピタイン、パファーのほかに、イギリス海軍の潜水艦タシターン (HMS Taciturn, P314) とソーロウ (HMS Thorough, P324) がブルヘッドの担当海域と同じ位置に存在していた。またこれより前にコッド (USS Cod, SS-224) とチュブ (USS Chub, SS-329) が同海域を通過したが、日本軍の対潜水艦攻撃は何度も行われ、いつの攻撃がブルヘッドを沈めたのか特定するのは困難である。しかしながら、後述の2回の攻撃のいずれかがブルヘッドの最期であったと考えられている。 日本側の資料によると、8月6日午前8時過ぎ、バリ島デンパサル飛行場から飛来した、陸軍独立飛行第73中隊の九九式軍偵察機が南緯08度20分 東経115度42分 / 南緯8.333度 東経115.700度 / -8.333; 115.700の地点を浮上航行中の潜水艦を発見して60キロ爆弾で爆撃し、直撃弾2発を確認して「撃沈確実」を報じた。翌8月7日には、海軍の水上偵察機が南緯07度42分 東経115度29分 / 南緯7.700度 東経115.483度 / -7.700; 115.483の地点で潜水艦に対して爆弾4発を投じ、うち2発が至近弾となって油が流出した、とある。その位置はともにバリ島の沖合であり、バリ島最高峰のアグン山山頂がブルヘッドのレーダー探知を妨げ、航空機の接近を探知することができなかったと考えられる。また、上記2つとは別に、終戦後の8月16日に撃沈したという回想もあり、それによれば同日10時ごろに、海軍見張所からの報告を受けた九九式軍偵察機がロンボク海峡で南下中の潜水艦を爆撃し、うち2発が潜航しかけた潜水艦の艦首と艦尾への至近弾となって、攻撃後は潜水艦は浮上せず、30分後にワーンという水中音と浮遊物を確認したとある。ただし、木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』183ページでは、これは日付の誤記としている。 ブルヘッドは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。ブルヘッドは第二次世界大戦において、敵の攻撃で失われた最後のアメリカ海軍艦艇となった。その日は奇しくも広島市への原子爆弾投下と同日であった。
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