第3の哨戒 1945年5月 - 7月
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「シーオウル (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1945年5月 - 7月」の解説
5月20日、シーオウルは3回目の哨戒でパファー、ティランテ (USS Tirante, SS-420) とウルフパックを構成し日本近海、東シナ海および黄海方面に向かった。この哨戒では通常哨戒と救助配備任務に就いた。6月9日、シーオウルは北緯34度18分 東経127度18分 / 北緯34.300度 東経127.300度 / 34.300; 127.300の麗水湾口で秋月型駆逐艦と思われる艦艇を含む2隻の目標を探知。この2隻の艦艇は海防艦屋代と第41号海防艦であった。4時35分、シーオウルは攻撃位置から魚雷を6本発射。最初の魚雷が第41号海防艦の中央部に命中、爆発し、他の魚雷は目標の下を通過した。屋代が他の哨戒艇2隻とともに爆雷攻撃を始め、続く14時間で84発の爆雷を投下したものの、シーオウルは損傷を負うことはなかった。4日後の6月13日、シーオウルは砲撃により4本マストの大型スクーナーを破壊し、2名を捕虜として捕らえた。6月28日は浮遊機雷の処分に一日を費やした。7月2日、6名の撃墜されたパイロットが135マイル漂流後にシーオウルによって救助された。6名は負傷の治療を受け、哨戒の残りを共に行動した。7月12日には潜水艦を発見して雷撃したが、命中しなかった。7月29日、シーオウルは67日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 8月15日の日本降伏時、シーオウルは真珠湾で4回目の哨戒に向けての準備を行っていた。
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