第3の哨戒 1945年4月 - 5月
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「アトゥル (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1945年4月 - 5月」の解説
4月2日、アトゥルは3回目の哨戒で日本近海に向かった。途中、グアムアプラ港に寄港し、潜水母艦ホランド (USS Holland, AS-3) に横付けしたあと、4月12日に出航。豊後水道方面を中心に、東側をガトー (USS Gato, SS-212) が、西側をアトゥルが担当した。この哨戒は救助配備任務と機雷破壊任務がメインとなったが、5月4日に敵の潜水艦を発見。しかし、アトゥルが攻撃態勢に入る前に逃げられてしまった。5月5日、アトゥルは救難用のB-29と共同で救助作戦を行っていたが、そこに2機の日本機が襲撃してきた。アトゥルは管制塔代わりとして空中戦を指揮し、B-29が2機のうちの1機を落とし、もう1機は逃げる態勢を見せた。アトゥルは潜航して続きを見物していると、逃げた日本機は珍しい落ち方をして海中に突っ込んだ。アトゥルは浮上して、焼け焦げた日本機の残骸を回収した。5月30日、アトゥルは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。3週間にわたって潜水母艦ユーラール (USS Euryale, AS-22) による整備を受けた。
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