第3の哨戒、1945年1月 - 2月とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒、1945年1月 - 2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:07 UTC 版)

スペードフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒、1945年1月 - 2月」の解説

1945年1月6日スペードフィッシュ3回目の哨戒ポンポン (USS Pompon, SS-267)、アトゥル (USS Atule, SS-403)、ジャラオ (USS Jallao, SS-368) とウルフパック構成し東シナ海および黄海方面向かった1月28日スペードフィッシュ北緯3350東経12255分 / 北緯33.833度 東経122.917度 / 33.833; 122.917の地点でヒ91船団発見。2時40分、スペードフィッシュ海防艦久米タンカー永洋丸(日本油槽船、8,673トン)、元特設水上機母艦讃岐丸日本郵船、9,246トンに対して魚雷発射し魚雷命中した久米は全艦炎上して沈没し讃岐丸右舷魚雷命中して沈没。永洋丸は間一髪回避した。3隻の他の護衛艦スペードフィッシュ方に向かってきたが、スペードフィッシュ首尾よく逃げた2月4日スペードフィッシュ北緯3715分 東経12517分 / 北緯37.250度 東経125.283度 / 37.250; 125.283の地点泰東(たいらい)丸(大連汽船、4,273トン)を撃沈2日後2月6日には北緯38度47東経12128分 / 北緯38.783度 東経121.467度 / 38.783; 121.467の旅順近海昌平丸遼東海運、1,092トン)を撃沈した。この時、近く哨戒機スペードフィッシュ爆撃スペードフィッシュ揺さぶられたものの無傷だった2月13日スペードフィッシュ38日間行動終えてグアムアプラ港に帰投艦長ウィリアム・J・ジルマーショーゼン(アナポリス1935年組)に代わった。

※この「第3の哨戒、1945年1月 - 2月」の解説は、「スペードフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
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