第3の哨戒、1945年1月 - 2月
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「スペードフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒、1945年1月 - 2月」の解説
1945年1月6日、スペードフィッシュは3回目の哨戒でポンポン (USS Pompon, SS-267)、アトゥル (USS Atule, SS-403)、ジャラオ (USS Jallao, SS-368) とウルフパックを構成し東シナ海および黄海方面に向かった。1月28日、スペードフィッシュは北緯33度50分 東経122度55分 / 北緯33.833度 東経122.917度 / 33.833; 122.917の地点でヒ91船団を発見。2時40分、スペードフィッシュは海防艦久米、タンカー永洋丸(日本油槽船、8,673トン)、元特設水上機母艦讃岐丸(日本郵船、9,246トン)に対して魚雷を発射し、魚雷が命中した久米は全艦炎上して沈没し、讃岐丸も右舷に魚雷が命中して沈没。永洋丸は間一髪回避した。3隻の他の護衛艦がスペードフィッシュの方に向かってきたが、スペードフィッシュは首尾よく逃げた。 2月4日、スペードフィッシュは北緯37度15分 東経125度17分 / 北緯37.250度 東経125.283度 / 37.250; 125.283の地点で泰東(たいらい)丸(大連汽船、4,273トン)を撃沈。2日後の2月6日には北緯38度47分 東経121度28分 / 北緯38.783度 東経121.467度 / 38.783; 121.467の旅順近海で昌平丸(遼東海運、1,092トン)を撃沈した。この時、近くの哨戒機がスペードフィッシュを爆撃。スペードフィッシュは揺さぶられたものの無傷だった。2月13日、スペードフィッシュは38日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がウィリアム・J・ジルマーショーゼン(アナポリス1935年組)に代わった。
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