第3の哨戒・シルバースター
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「チャールズ・E・ラフリン」の記事における「第3の哨戒・シルバースター」の解説
12月29日から1945年1月29日の三度目の哨戒では「ラフリンズ・ルーパーズ」の編成を継続し、ラフリンは引き続いて指揮官を務めたものの、ウルフパック全体の戦果自体は大きかったにもかかわらず、「クイーンフィッシュ」自体の戦果は少なかった。ウルフパックは日本軍のフィリピンへの増援を阻止し、1月7日のモタ30船団への攻撃では4隻を撃沈して3隻に損傷を与えたと報告したが、「クイーンフィッシュ」は撃沈の1隻について3分の1の戦果が認められたのみであった。僚艦「バーブ」艦長のユージーン・B・フラッキー少佐(アナポリス1935年組)は、モタ30船団攻撃時のラフリンの攻撃ぶりを「信じられないほど下手な魚雷発射」と評し、ラフリン自身も後輩に指摘されるまでもなく戦時日誌に「畜生」と殴り書きするほどの出来の悪い攻撃だった。 シルバースター合衆国大統領は、海軍少佐チャールズ・エリオット・ラフリンが1944年12月29日から1945年1月29日までの間の、台湾海峡および中国沿岸部における「クイーンフィッシュ」三度目の哨戒で示した、目覚ましい勇気と恐れを知らぬ精神を評価してシルバースターを贈る。巧みに接敵して敵の強力な護衛網を貫いて魚雷攻撃を仕掛け、ほかの潜水艦と協力して1万トンのタンカーを撃沈し、銃撃で300トン級の敵哨戒艇を撃沈した。グループの指揮官としても、彼の指揮のもとで合計6万トンもの敵船を沈め、任務遂行に貢献した。彼のスキルと勇気、義務への献身ぶりは、アメリカ海軍における崇高な伝統と合致している。 南カリフォルニア大学のロジャー・ディングマン教授は、この三度目の哨戒における実入りの少なさはラフリンと「クイーンフィッシュ」の乗組員に「これまでで最も屈辱的な経験」を与え、次の哨戒に「傷ついた評判を回復するチャンス」を与えたとする。
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