「バーブ」艦長とは? わかりやすく解説

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「バーブ」艦長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:57 UTC 版)

ユージーン・B・フラッキー」の記事における「「バーブ」艦長」の解説

バーブ (潜水艦)」も参照 1943年11月、フラッキーはニューロンドンに赴き、太平洋艦隊潜水部隊配属されるバーブ艦長就任することを通告された。バーブここまで大西洋太平洋で7回の哨戒経験し4月25日ミッドウェー島帰投したところであった。フラッキーは4月27日着任し以後バーブ艦長として5回の哨戒行って第二次世界大戦での偉大な潜水艦長」の一人として地位確立することとなった1945年7月22日夜には、乗組員上陸部隊編成し樺太東線爆薬仕掛けて16編成列車吹き飛ばしたが、これは第二次世界大戦中唯一の潜水部隊による「上陸作戦」として記録された。フラッキーは上陸作戦を行うにあたり、艦のあらゆる配置から志願者求め、またボーイスカウト出身者を特に選んで編成した。かくて編成された「上陸部隊」は、ポール・サンダース(英語版)を筆頭にウィリアム・ハットフィールド、フランシス・セイヴァー、ローレンス・ニューワード、エドワード・クリングスミス、ジェームズ・リチャード、ジョン・マークソンおよびウィリアム・ウォーカーといった顔ぶれ編成されハットフィールド線路の下に爆薬仕掛け遠隔操作爆破できるようコード張り巡らす担当就いた。 フラッキーはバーブでの哨戒のうち、11回目哨戒を除く4つ哨戒での功績海軍十字章授与された。11回目哨戒では中国沿岸部42キロ範囲内水深37メートル浅海にあった2つ船団に対して後方から攻撃仕掛け、2隻の護衛艦追跡してきたのを受けでバーブ通常150パーセントエンジン出力行って23.5ノット高速海域抜け出した。このフラッキーの顕著大胆な攻撃に対して海軍十字章より上の名誉勲章授けられた。また、8回目11回目哨戒に対して殊勲部隊章英語版)を、12回目哨戒に対してはさらに海軍部隊表彰英語版)も受章した。フラッキーは、1992年出版した自著 "Thunder Below!" でバーブでの日々次のように述べている。「砲弾爆弾および爆雷をもってバーブ痛めつけようとも、バーブそのたびパープルハートをもらうことなく潜り抜けて、いつでも戦う準備整っていた」。

※この「「バーブ」艦長」の解説は、「ユージーン・B・フラッキー」の解説の一部です。
「「バーブ」艦長」を含む「ユージーン・B・フラッキー」の記事については、「ユージーン・B・フラッキー」の概要を参照ください。

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