【第1師団(自衛隊)】(だいいちしだん(じえいたい))
陸上自衛隊における戦略級部隊単位である師団の一つ。
1950年に警察予備隊が結成された際、東京都・越中島駐屯地にて創設された「警察予備隊第1管区隊」をルーツとしている。
その後の1962年に「師団」制度が発足すると共に、「第1管区隊」から現在の名称に改められた。
本師団は、司令部を東京都・練馬駐屯地に置き、3個普通科(歩兵)連隊を基幹とする約6,300名の兵員を擁し、関東南部(東京・神奈川・埼玉・山梨・千葉・茨城)及び静岡県の防衛警備・災害派遣・民生協力、または国際貢献活動などを任務にしている。
近畿広域圏(大阪府・京都府・兵庫県・滋賀県・奈良県・和歌山県)を担当する第3師団とともに政経中枢師団とされている本師団は、市街地でのCQBを想定しているため、装備は軽快なものとし、機動力を重視している。
師団長は陸将(乙)、副師団長は陸将補、師団幕僚長は1等陸佐が就いている。
部隊編制
余談
本師団は、極左過激派や一部の労働組合から「治安弾圧部隊」と揶揄されることもある。
これは1960年代~1970年代、労働運動や学生運動が活発だった頃、「治安出動でデモ隊を攻撃する」という話がまことしやかに語られていたことから来ているというが、実際のところ、そうしたデモについては警察の機動隊で充分対応可能なため、本師団(のみならず自衛隊すべてに対して)に治安出動命令が発令されたことはない。
第1師団
第1師団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)
師団長は、1936年(昭和11年)3月23日に、堀丈夫中将から河村恭輔中将へ交代。堀中将は同年7月10日、予備役編入。
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第1師団
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第1師団「首都」 司令部:モンテビデオ。モンテビデオ県、カネロネス県を管轄。第1砲兵群 第5砲兵群 第5歩兵旅団(予備部隊)第1歩兵大隊 第2歩兵大隊 第3歩兵大隊 第1通信旅団(予備部隊)第1通信大隊 第2通信大隊 第3騎兵旅団第1騎兵連隊(予備部隊) 第4騎兵連隊 第9騎兵連隊 第14歩兵大隊 在カネロネス県 第6騎兵連隊 在カネロネス県 第1砲空砲兵群 在カネロネス県
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第1師団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:04 UTC 版)
レイテ戦の決戦師団として、満州から上海経由で投入された。第2次多号輸送で11月1日上陸。 兵力13542 生還者50 師団長片岡董(ただす)中将は、昭和20年1月15日、第35軍司令によりレイテを脱出。 歩兵第1連隊(東京) 連隊長揚田虎巳大佐は、昭和20年1月17日、レイテを脱出、セブ島へ。 歩兵第49連隊(甲府) 連隊長小浦次郎大佐は、セブ島に転進後、昭和20年5月25日戦死。 歩兵第57連隊(佐倉) 連隊長宮内良夫大佐は、昭和20年1月15日、レイテを脱出、セブ島へ。
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