第六話 被虐の受太刀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 03:37 UTC 版)
「腕 -駿河城御前試合-」の記事における「第六話 被虐の受太刀」の解説
夜間、神社にて水垢離をする異相の男がいた。全身に無数の傷が刻まれた男・座波間左衛門は、美しき男女に身体を斬られることに悦びを感じ、しかる後にその者を殺すことに悦楽を覚えていた。だが彼は、そんな己を愧じ、自分ではどうしようもないこの性癖を治したいと願っていた。 間左衛門が、自らの身体を傷つけることに悦びを覚えることに気付いたのは9歳の時であった。初めは両親を失った自分を引き取ってくれた叔父夫婦の娘・きぬに小刀で体を切ってもらい、長じて剣術の道場に通うようになってからは美少年に体をわざと打たせ、快感を覚えていた。そして、その時に脳裏に浮かぶのは叔母・なほ女の顔であった。美少年に木刀で打たれる間左衛門に、やがて衆道の徒であるという噂が流れ始め、それを理由に叔父・軍兵衛は彼を他家に預けようと考える。それを不憫に思うなほ女に、間左衛門は己の体を切り、悪い血を全て出して欲しいと願う。自分は病気なのだと身体を切る間左衛門に、なほ女は傷から流れる血を吸い、ついには興奮のあまり抱き合う2人。しかし、その場を軍兵衛に見られ、間左衛門は出奔。なお女は自害し、数年後に軍兵衛もまた病死した。 慶長20年(1615年)、間左衛門は大坂夏の陣に藤堂家の足軽支隊長として参戦していた。そこで彼は、血まみれになった妖艶な男に斬りつけられた時、隠してきた性癖が噴出し、ここが戦場であることも忘れ、自ら甲冑を脱ぎ捨て、男に斬られ続けた。それを見かねた同僚が割って入ろうとしたため、やむなく男を討ち取ったものの、悦楽に酔い男の死体に抱き着いた姿から奇妙な噂が流れ、藤堂家から姿を消すはめとなった。 寛永5年(1628年)、駿府城下に道場を開いた間左衛門は、徳川忠長に召され武芸を披露することになった。その技と、何より全身傷だらけの間左衛門の姿に自分と同じ変態性を見出した忠長は彼を200石で召抱えた。翌年(1629年)8月、顔に大きな傷のある女武芸者が駿府城下に現れた。女性の名は磯田きぬ。両親の仇を討つため勝負を願うとの申し出を間左衛門は受けて立った。 御前試合当日、2人の対決は6番目の試合で行われた。顔に傷があるが、母親のなほ女とそっくりなきぬを見た瞬間、間左衛門は異常な性欲に支配され理性を失った。衣服を脱ぎ、傷だらけの身体をきぬに斬られる間左衛門。快楽に溺れた間左衛門は、きぬの刃を己の身に深く突き通させる。法悦に至った間左衛門は最後にきぬを斬ろうとするが、そこで力尽き倒れた。きぬは、愛憎入り混じった想いで間左衛門の首を抱き締めた。 登場人物 座波 間左衛門(ざは かんざえもん) 全身に無数の傷を負う異形の男。当年32歳。男女問わず、美貌の者に斬られることに無上の快楽を感じ、存分に斬らせた後で相手が疲れたところを刺し殺すことに至福の悦楽を覚える。自身はこの奇癖を愧じ、嫌悪を覚えながらも止められずにいる。 磯田 きぬ(いそだ きぬ) 間左衛門の叔父・軍兵衛の娘で、間左衛門の従妹。将来は間左衛門を婿に取り、家を継がせる予定であった。しかし、間左衛門が出奔する際に突き飛ばされて転び、一生治らない傷が顔に残された。父母の仇を討つため天道流の剣術を学ぶ。成長した姿は母のなほ女と瓜二つ。 なほ女(なほめ) 間左衛門の叔母。早くに親を亡くした間左衛門に同情的であった。 原作との相違点 間左衛門の奇癖が原因で磯田夫妻は破滅。きぬは顔に傷を負い、磯田家に婿も迎えていない。 結婚していないため、夫の仇ではなく両親の仇として、きぬは間左衛門に勝負を挑む。きぬが使う得物は薙刀ではなく刀になっている。 忠長の小姓とその兄を間左衛門が討ち取るエピソードは省略されている。
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