空軍州兵の編成と遣外任務の増加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 14:24 UTC 版)
「州兵」の記事における「空軍州兵の編成と遣外任務の増加」の解説
1947年、国家安全保障法の制定によって、アメリカの安全保障体制は大きく改編・整頓された。このとき、陸軍航空軍が空軍として独立改編されるのとあわせて、州兵でも、既存の航空隊を独立改編して空軍州兵が編成された。これにより、州兵は陸軍州兵と空軍州兵という2つの組織をもつ体制が整備された。 黎明期には頻繁に行われていた治安維持のための出動は、州警察の体制が整うにつれて減少していき、かわって国内任務としては災害救援が重視されるようになった。しかし1950年代・1960年代の学生運動・公民権運動に際しては、雑踏警備・暴動鎮圧のため、州兵による集団警備力が度々動員されている。またリトルロック高校事件の際には、黒人生徒の登校に反対するアーカンソー州知事によって州兵が動員され、高校を封鎖した。これに激怒した当時のドワイト・D・アイゼンハワー大統領はそれら州兵を連邦軍に編入し、駐屯地へ帰還するように命じた。州兵達はこの命令に従ったため事態はこれ以上悪化しなかった。 アメリカ合衆国の軍事的プレゼンスの増大とともに、州兵の遣外任務も増加しており、朝鮮戦争には陸軍州兵13万8,000人と空軍州兵4万5,000人が動員された。またベトナム戦争では、戦争への国民的支持が希薄だったことから、戦争の長期化にも関わらず州兵の大規模動員はなされなかったものの、少数ながら陸軍州兵1万2,000人と空軍州兵1万人が動員されている。またこの戦争では、戦争の長期化による連邦軍の人員損耗を補うため、補充要員としての州兵や予備役の比重が増加したことから、1973年、常備軍と予備部隊間の差異を小さくし、一体的な運用を行えるようにする総戦力方針 (Total Force Policy) が採択された。これを受けて、州兵の訓練・装備面での更なる充実が図られ、連邦軍に見劣りしないほどの人員装備を擁するようになった。 湾岸戦争でも陸軍州兵6万3,000人と空軍州兵1万人が動員されたほか、コソボ紛争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争にも参加している。またアメリカ同時多発テロ事件後には、国内の重要施設の警備のために大規模な出動もなされた。 一方、上記のように治安維持のための出動は減少していたが、2020年は国内への出動件数は第二次世界大戦以後最大に達し、2021年1月6日に起きた連邦議会議事堂襲撃事件では、暴徒鎮圧のために、命令された約1000人のうち約100人の州兵がワシントンD.C.から議事堂に展開され、メリーランド州、バージニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州、デラウェア州、ペンシルベニア州から6200人の州兵が展開する権限が与えられた。また、1月13日に下院で、この事件などを原因としたドナルド・トランプ大統領の弾劾訴追を審議していた最中には約6000人の州兵がワシントンD.C.に展開され、一部の州兵が議事堂内で警備のために夜を明かし、これは南北戦争以来約150年ぶりの出来事であった。1月20日の大統領就任式の際にも、引き続いてアメリカ全土から、アフガニスタンとイラクに派兵されている数の数倍に及ぶ約2.5万人の州兵がワシントンD.C.に展開された。
※この「空軍州兵の編成と遣外任務の増加」の解説は、「州兵」の解説の一部です。
「空軍州兵の編成と遣外任務の増加」を含む「州兵」の記事については、「州兵」の概要を参照ください。
- 空軍州兵の編成と遣外任務の増加のページへのリンク