神尾春央とは? わかりやすく解説

神尾 春央 (かんお はるひで)

1687〜1753 (貞享4年宝暦3年)
勘定奉行】 「胡麻百姓絞れば絞る程出るもの」享保の改革年貢増徴推進
幕臣勘定奉行老中松平乗邑の下で年貢増徴政策推進し享保の改革一端担った隠田摘発有毛検見取法を各地実施し年貢増収成功した西域物語では「胡麻百姓絞れば絞る程出るもの」と、百姓胡麻例え年貢いくらでも厳しくできると考えていたとされる

 年(和暦)
1687年 (貞享4年) 生類憐みの令 0才
1698年 (元禄11年) 江戸大火勅額火事 11
1702年 (元禄15年) 赤穂浪士討ち入り 15才
1703年 (元禄16年) 江戸開府100年 16才
1705年 (宝永2年) 御蔭参り流行 18
1707年 (宝永4年) 富士山噴火 20才
1718年 (享保3年) 御蔭参り流行 31
1719年 (享保4年) 相対済し令 32
1720年 (享保5年) 江戸大火 33才
1720年 (享保5年) 江戸町火消しいろは組設置 33才
1722年 (享保7年) 小石川病所設置 35
1732年 (享保17年) 西日本蝗害 45
1742年 (寛保2年) 公事方御定書制定 55
1744年 (延享元年) 神田天文台設置 57


絵島 1681年1741年 (天和元年寛保元年) +6
徳川 吉宗 1684年1751年 (貞享元年宝暦元年) +3
野呂 元丈 1693年1761年 (元禄6年宝暦11年) -6

神尾春央

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 04:05 UTC 版)

神尾 春央(かんお はるひで、貞享4年(1687年) - 宝暦3年5月5日1753年6月6日))は、江戸時代旗本官位若狭守。苛斂誅求を推進した酷吏として知られており、農民から憎悪を買ったが、将軍吉宗にとっては幕府の財政を潤沢にし、改革に貢献した功労者であった。

経歴

貞享4年(1687年)、下嶋為政の次男として誕生。母は館林徳川家の重臣稲葉重勝の娘。長じて旗本の神尾春政の養子となる。元禄14年(1701年)仕官。賄頭、納戸頭など経済官僚畑を歩み、元文元年(1736年勘定吟味役に就任。さらに翌年には勘定奉行となる。

時に8代将軍徳川吉宗享保の改革が終盤にさしかかった時期であり、勝手掛老中松平乗邑の下、年貢増徴政策が進められ、春央はその実務役として積極的に財政再建に取り組み、租税収入の上昇を図った。特に延享元年(1744年)10月には自ら中国地方へ赴任して、年貢率の強化、収税状況の視察、隠田の摘発などを行い、その甲斐あって、同年は江戸時代約260年を通じて収税石高が最高となった。ただし、百姓たちからは大いに恨まれ、摂津、和泉、河内、播磨、大和のうち、天領に属する農民たちが決起して、大坂町奉行、京都町奉行、京都所司代に年貢の減額を求め、また、翌延享2年4月には、摂津、河内3郡の農民ら2万が、京都御所に押しかけた。彼らは、内大臣、武家伝奏に、朝廷として、幕府に対する年貢の減額の斡旋を行ってほしいと求めた(摂津国河内国延享2年一揆)。徳川吉宗が将軍職を家重に譲って大御所と称したのは、その年の10月である。

しかし、翌年松平乗邑が失脚した影響から春央も地位が危うくなる。春央は金銀銅山の管理、新田開発、検地奉行、長崎掛、村鑑、佐倉小金牧などの諸任務を1人で担当していた他、支配役替や代官の所替といった人事権をも掌握していたが、延享3年(1746年)9月、それらの職務権限は勝手方勘定奉行全員の共同管理となったため、影響力は大きく低下した[1]

宝暦3年(1753年)、没す。

人物評価

およそ半世紀後の本多利明の著作「西域物語」によれば、春央は「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」と述べたとされており、この文句は春央の性格を反映するものとして、また江戸時代の百姓の生活苦の形容として広く知られている(ただし、逆に貧農史観のイメージを定着させてしまったともいえる)。

また、当時の勘定組頭・堀江荒四郎芳極(ほりえ あらしろう ただとう)と共に行った畿内・中国筋における年貢増徴の厳しさから、「東から かんの(雁の・神尾)若狭が飛んできて 野をも山をも堀江荒しろ(荒四郎)」という落書も読まれた[2]

脚注

  1. ^ 『勘定奉行取扱向ノ儀ニ付勤方達書』
  2. ^ 松浦静山の『甲子夜話』より。

参考文献


「神尾 春央」の例文・使い方・用例・文例

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