社会主義国家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 05:52 UTC 版)
1960年代、コシツェ市東部に大規模な製鉄所(Východoslovenské železiarne、VSŽ)(現:USスチール・コシツェ(英語版))が操業を開始した事を受け、従業員輸送用の交通手段として、専用軌道を用いたコシツェ急行線(スロバキア語版)が敷設される事となった。1961年から建設が始まり、1965年5月3日から営業運転を開始したこの路線は多数の利用客を記録し、1979年7月1日からは3両編成も運行を開始した。一方、市内路線はバスへの置き換えによる廃止が相次いだ一方、団地への新規路線建設や系統の増設も積極的に実施された。また、車両の更新も進み、1956年以降東側諸国の標準型路面電車車両であるタトラカーの導入が継続して行われ旧型電車を置き換えた他、1973年からは乗客が事前に切符を購入する信用乗車方式の運用が始まった。 コシツェ市電の路線網が最大に達したのは、運営権がスロバキア州に移管(Dopravný podnik mesta Košíc, š. p.)した1989年で、コシツェ急行線を含めて17系統(1 - 9、R1 - R8)が運用されていた。 そんな中で、1978年10月30日には路面電車の脱線事故が発生し、運転士を含めた死者9人、重傷10人、軽傷80人と言う、スロバキアの公共交通に関する事故の中で最悪の事態となった。事故の要因は運転士による過失であると判断されたが、路面電車車両(タトラT3)に設置されていた制動装置の故障が直接的な要因という説も存在する。 1960年代以降大量導入が実施されたタトラT3(1970年代撮影)
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