研究用原子炉の購入と設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 03:47 UTC 版)
「ウルグアイの原子力」の記事における「研究用原子炉の購入と設置」の解説
1964年、アメリカ合衆国政府は「平和のための原子(Atoms for Peace)」と題した会議を米国で開催し、研究目的用の小型で低出力な原子炉がそこに持ち込まれた。結果として、ウルグアイ政府は米国からの原子炉購入を申し入れた。そのため両政府は、国際原子力機関(IAEA)の援助を借りて、1965年に以下のリース契約を締結した。米国はウルグアイに対して原子炉燃料として使用する目的のウラニウム16049.57g(うち3182.63gがウラン235)、プルトニウム79.98g、そして2つの核分裂計数管(それぞれ1.68gのウラン中に1.51gの同位体ウラン235を含む)を備えた5つのキュリウム-プルトニウム-ベリリウム中性子源からなる核分裂性物質を移譲する。2つ目の合意として、米国は研究炉をウルグアイに移譲し、設置に関する技術支援を提供することを約束した。その見返りに、ウルグアイは原子炉の使用料、核燃料の使用料を支払うことを承諾し、いかなる状況でもこの燃料を第三国に移転しないことを承諾した。 100KW原子炉 は、もともと1959年から1962年にかけてアメリカ原子力委員会の南米向け展示品が発端であり、1970年代に教育、研究、技術スタッフの訓練を目的としてウルグアイに常設され、原子力研究センター (マルビン・ノルテ地区)の建物内に置かれている。 建物の半分はマリエッタ (ジョージア州)のロッキード社によって製造された原子炉用であり、設置費用込みで当時200万ウルグアイ・ペソを国家投資で購入した。その後、ウルグアイは政府予算から2,000万ペソを投じてこの建物を建設し、稼働させた。法律13640の259条は、この原子炉がウルグアイ政府の財産であり、国家原子エネルギー委員会の管轄下にあることを規定している。 この原子炉は、1970年代後半から1985年まで稼働していたが、腐食の問題により稼働停止された。燃料要素は炉心から取り除かれてて乾式貯蔵庫に入れられ、米国へ輸送されるのを待っている。この施設の設置については世論での論争は起こらなかった。
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