百億の昼と千億の夜
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『百億の昼と千億の夜』(ひゃくおくのひるとせんおくのよる)は、光瀬龍のSF小説。当初の仮題は『百億の昼、千億の夜』であった[1]。『S-Fマガジン』に1965年(昭和40年)12月号から1966年(昭和41年)8月号まで連載された。日本SFの中でも壮大なスケールを持つ作品として知られる。「神」をテーマにし、終末観と救済など、宗教・哲学的色彩も濃い。
注釈
- ^ 『別冊新評 SF - 新鋭7人特集号』[7](新評社、1977年)での手塚治虫との対談「SFマンガについて語ろう」で、本作を取り上げた原因を手塚から聞かれた萩尾は、「それはたまたま『(週刊少年)チャンピオン』の編集部に光瀬さんのファンがいて、(中略)『百億の昼と千億の夜』がよかったという話をしましたら、もし描くんだったら光瀬さんに頼んであげますよってわけです。」と語っている。
- ^ 光瀬龍は萩尾による漫画版について「原作が私自身のものだから、たいへん語りにくいのだが、実際、よくやったものだと思う。(中略)萩尾さんは萩尾さんのやりかたで原作を完全にわがものにし、乗り越えたと思う。」と記している[8]。
- ^ 1977年から1978年にかけては加藤唯史作画による『ロン先生の虫眼鏡』も『週刊少年チャンピオン』に連載されており、光瀬原作の作品が2作同時に掲載されることになった。
- ^ 『別冊新評 SF - 新鋭7人特集号』[7](新評社、1977年)での手塚治虫との対談「SFマンガについて語ろう」で、萩尾は「あの話は、イエス・キリストがずいぶん悪人になってるでしょう。でも私イエスがわりと好きなんで、すごく困ったんです。で、しょうがないから、イエスを悪人にして、ユダを生かそうと思ってるんです。」と語っている。
- ^ 『ダ・ヴィンチ』1999年11月号[9]での夢枕獏とのスペシャル対談で萩尾は、「(電話での打ち合わせで光瀬龍が)「ああ、そうそう、阿修羅王は……」と最後に言いだしたので、あれ何か注文かな、と思ったら、「男でしたっけ、女でしたっけ」と(笑)。光瀬さん自身も私が描いたような中性的なイメージで考えておられたのではないでしょうか。」と語っている。
出典
- ^ 『S-Fマガジン』1965年11月号 (1965).
- ^ 光瀬龍「あとがき」『百億の昼と千億の夜』ハヤカワ文庫、1993年7月31日30刷、439頁
- ^ 宮野由梨香 (2010年7月7日). “東京SF大全34『百億の昼と千億の夜』”. TOKON10実行委員会公式ブログ. 2022年7月9日閲覧。
- ^ 『週刊少年チャンピオン』第34号、1977年8月15日号 (1977).
- ^ “1977年”. 週チャンマニアクス. 2020年6月21日閲覧。
- ^ “1978年”. 週チャンマニアクス. 2020年6月21日閲覧。
- ^ a b 『別冊新評 SF‐新鋭7人特集号』 (1977).
- ^ 萩尾望都『萩尾望都の世界─テレビランド増刊イラストアルバム 6』 1978, p. 70, 「孤独と情念の子・萩尾望都(光瀬龍)」
- ^ 『ダ・ヴィンチ』No.67、1999年11月号 (1999).
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- 2 百億の昼と千億の夜の概要
- 3 評論
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