発祥と現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 14:37 UTC 版)
「コミック・ストリップ」の記事における「発祥と現在」の解説
コミック・ストリップは1865年のドイツで描かれた絵物語『マックスとモーリッツ』に遡ることができる。これは『もじゃもじゃペーター』のようなドイツ児童文学の流れを汲む幾編かの教訓物語である。いたずら小僧マックスとモーリッツが、穀物の袋に投げ込まれ、碾き臼で磨り潰された挙句、ガチョウの群れのエサにされてしまうというストーリーである。 『マックスとモーリッツ』から着想を受けた『カッツェンジャマー・キッズ(英語版)』は、おそらくは最初の現在的な意味でのコミック・ストリップである。ドイツ系アメリカ移民のルドルフ・ダークス(英語版)により1897年に著された。痛みの火花、登場人物の発言をあらわすふきだし、いびきを表すノコギリなどの漫画の慣用表現はダークスから始まった。 アメリカにおいては、ジョーゼフ・ピューリツァーとウィリアム・ランドルフ・ハーストによる新聞拡販競争から大規模なコミック・ストリップ人気が沸き起こった。『ザ・リトル・ベアーズ(英語版)』(1893年)は特定のキャラクターが繰り返し登場するアメリカにおける最初のコミック・ストリップであった。1897年に最初の日曜版漫画の一作品として掲載された『イエロー・キッド』は、最初のカラー漫画であり、「イエロー・ジャーナリズム」という用語の語源となった。1907年に登場した『マットとジェフ(英語版)』は、最初の日刊連載漫画である。 『カッツェンジャマー・キッズ』は、コミック史における最初の版権訴訟の一例と関わりがあることでもよく知られている。ダークスがピューリツァーの下での好待遇を求めてハーストの元を去った際に、ハーストには「カッツェンジャマー・キッズ」の名前を使用する権利が与えられ、制作者のダークスには同キャラクターの使用権が与えられるという、非常に珍しい判決が下された。ハーストは即座に漫画家ハロルド・クネルを雇い、『カッツェンジャマー・キッズ』の新シリーズを執筆させた。一方ダークスは彼自身の『カッツェンジャマー・キッズ』を、『ハンスとフリッツ』と改題した(後の『キャプテン・アンド・キッズ(The Captain and the Kids(film series)』)。こうしてライバル企業同士から配給されるようになった二作品の『カッツェンジャマー・キッズ』は、以降数十年にわたり新聞の漫画ページを飾り続けた。ダークスの作品は最終的にユナイテッド・フューチャー・シンジケート(英語版)から配給され、1979年まで続いた。 数百作品ものコミック・ストリップがこれに続き、数十年にわたり連載され続けている。 この用語はもともと2コマ以上何コマであっても全ての漫画を指していたもので、今もイギリス英語ではこの意味で使用される。ヨーロッパにおいては漫画雑誌にも連載され、3ページ以上にわたるものが多い。現在のアメリカで「コミックス・ストリップ」というと、短いニュースペーパー・コミック・ストリップ(後述)を指す。アメリカ英語で「2コマ以上の全ての漫画」を指す言葉としては、「コミックス」(comics)が用いられ、新聞上で見られる漫画も「コミックス」と呼ばれることもある。
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