発展・伝播とは? わかりやすく解説

発展・伝播

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:03 UTC 版)

スワヒリ語」の記事における「発展・伝播」の解説

上記のようなさまざまな説があるものの、アフリカ東部沿岸ポルトガル来航した16世紀初頭までにはスワヒリ語としてある程度整った言語体系がすでに成立していたと考えられている。しかし、その範囲それほど広いものではなかった。スワヒリ語沿岸部全体拡散していくのは、ポルトガルがこの地域覇権握った16世紀からと考えられている。アラブ人ポルトガルによって排除されたことから、それまでこの地域商業用言語であったアラビア語影響力衰退しかわってスワヒリ語商業言語として台頭してきた。スワヒリ語母語とするシラジ人がこのころザンジバル中心に勢力拡大しているのもスワヒリ語拡散一因となった17世紀にはポルトガルに代わってアラビア語母語とするオマーンヤアーリバ朝がこの地域覇権を握るが、ほどなくしてオマーン本土混乱生じたため強力な統治を行うことができず、文化的影響それほど大きくなかった。 こうしてイスラーム化した海岸部中心に海岸部都市母語となったスワヒリ語は、1800年ごろから内陸部への伝播がはじまる。海岸部内陸部との交易がさかんとなり、とくに海岸部ザンジバルシティ本拠置いたオマーン王国ブーサイード朝サイイド・サイード王の下でキャラバン交易は急拡大する奴隷象牙などを求めて内陸部キャラバン分け入っていき、それに伴ってリンガフランカとしてのスワヒリ語拡大始まった1880年代キリスト教宣教師によってスワヒリ語ラテン文字表記開発されると、それまでアラビア文字通してあったイスラム教との強いつながり弱まり純粋な交易用言となったスワヒリ語キリスト教徒などにも受け入れすいものとなった19世紀末になるとザンジバル・スルタン国領だった海岸部イギリスドイツ分割されたが、両国ともに支配用の言語としてスワヒリ語重視し積極的な普及行った第一次世界大戦終わりドイツ領だったタンガニーカイギリス領となるとイギリスはこの地域英領東アフリカ植民地としてまとめ、域内リンガフランカとしてスワヒリ語利用した。 しかし、この時期までのスワヒリ語方言連続体であり、いわゆる標準語存在しなかった。そこで1928年6月モンバサ東アフリカ植民地会議が行われ、そこで標準語採用正式決定された。候補ケニアモンバサ方言ザンジバルザンジバル都市部方言であったが、イスラムと結びついているモンバサ方言対し交易用言語としてより広範囲広がっていたザンジバル都市部方言のほうが好適判断され1930年には領土言語委員会設置されザンジバル都市部方言を元とした標準語制定開始された。この委員会にはスワヒリ母語話者存在しなかったが、これによって正書法確立され、また辞書編纂などによって標準スワヒリ語はこの時期確立した

※この「発展・伝播」の解説は、「スワヒリ語」の解説の一部です。
「発展・伝播」を含む「スワヒリ語」の記事については、「スワヒリ語」の概要を参照ください。

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