番組スポンサーに関する特筆事項
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 06:40 UTC 版)
「全日本プロレス中継」の記事における「番組スポンサーに関する特筆事項」の解説
日本プロレス時代のプロレス中継(定期番組)は「三菱ダイヤモンド・アワー」の放送枠(当初はディズニーランドとの隔週)で放送されており、長らく三菱電機の一社提供だった。元々三菱電機は力道山のスポンサーであり、日本プロレス自体のスポンサーでもあった。テレビマッチのメインイベントの前に、三菱電機製の掃除機(「風神」など)でリング上を掃き清めるというスタイルの生コマーシャルが見られたり、実況の合間に「この放送は、皆様ご覧のテレビジョンを始め、数々の電化(家電)製品でおなじみの三菱電機が、全国の皆様にお送りしています」といった旨のアナウンスが入ったのは、この頃の事である。しかし番組の末期には、三菱電機を筆頭スポンサーとしながら、鈴木自動車、さらに久保田鉄工も提供スポンサーに加わっていた。 馬場は日本プロレスからの独立にあたり、日本テレビだけでなく、『日本プロレス中継』の提供スポンサーで日本プロレスのスポンサーだった三菱電機との縁も強く主張したが、新たに始まった『全日本プロレス中継』では、三菱電機が提供に付くことはなかった(金曜8時の三菱アワー枠に残り、後継番組である『太陽にほえろ!』のメインスポンサー<複数スポンサーとの共同協賛>となった)。ただし馬場との個人的な縁、全日本プロレスとの縁は継続され、リング上で渡される花束の提供元が三菱電機だったことも多かった(同じ三菱グループに属する三菱自動車工業は、後年、番組提供スポンサーに付いている)。番組は日鐵サッシをはじめとする複数社による提供(当初は主に金属・工業の企業である大平洋金属や高田工業所、大阪精工などがスポンサーに携わっていた)となり、それも時代の推移と共に目まぐるしく入れ替わった。 主に1970年代の全日本プロレスでは、「オロナミンC」(大塚製薬)、「酒は黄桜」(黄桜酒造)「ヰセキ」(井関農機)など番組スポンサーをあしらった横幕がリングに張られていた。また、初期のころはダイヤモンドアワーからの名残でメインイベントやオープン選手権(現・チャンピオンカーニバル相当)、世界オープンタッグ選手権(現・世界最強タッグ決定リーグ戦相当)の開会式における選手への花束贈呈の協賛もしており、リングアナウンサーや実況席の解説者・アナウンサーが「この番組の提供スポンサー(1社ずつ読み上げ)より花束が贈呈されます」とアナウンスしていた。スポンサー付き横幕は1979年3月まで張られていたが、同年4月の土曜17:30枠のローカルセールス枠移動と同時に横幕は「全日本プロレス中継 日本テレビ」→「ALL JAPAN PRO WRESTLING 日本テレビ」に変更された(2000年6月の当番組終了まで)と同時に解説者・アナウンサーによる読み上げも廃止された。但し、17:30からの放送となった時のごく一時期に日本テレビ(関東圏のみ)では録画中継である場合に限り当時の実況アナウンサーがスポンサーの提供読みとその日の放送カードの紹介をしていたものもあった。尚1979年4月以降のマットは、一時期赤青の2色を三角形状に分けたテレビ中継用マットと、青一色の未中継用マットに使い分けていたこともあった。花束贈呈については、時間帯移行後は「日本テレビ(または日本テレビ、地方協力局)より、花束の贈呈です。」、ゴールデン復活以降は「日本テレビ(または、日本テレビ、地方協力局)ならびに番組のスポンサーより、花束の贈呈です。」と実況アナウンサーより紹介されていた。 余談だが、三菱電機・鈴木・久保田(金8)・三菱自工・大塚(土8)とも、プロレス撤退以後の後継番組でも協賛を続けていた。
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