番組スポンサーの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 09:43 UTC 版)
「兼高かおる世界の旅」の記事における「番組スポンサーの変遷」の解説
『世界飛び歩き』時のスポンサーは石川島重工業(石川島播磨重工業→IHI)だったという。 数年後には三井物産をはじめとする三井グループが務め、そのときは「三井ワールドアワー(MITSUI WORLD HOUR)」とついていた(1977年4月に『クイズ世界をあなたに』に引き継がれる)。三井グループ提供時の放映当時はスポンサーのCMが字幕の形で放送されていたが、番組自体は原則的にフィルム制作のため基本的に素材には字幕CMは印字されていない(1967年3月まで)。ただし、兼高と芥川のトークに顔出しパートがある場合(特に1967年4月以降のカラー放送)は一部の回では顔出しパートをビデオ収録していた(顔出しパートをフィルム収録した回もある)関係で番組全体をキネコで記録したものもあり、その該当回では放映当時の字幕CMが素材に残っているが修正されずに放送されている。こうした事情から本放送時にはカラーだったのが、TBSチャンネルでの再放送では白黒という回もある。 この当時、オープニング・エンディングにはインフォマーシャル的なコメントがあった。 (オープニング)「三井ワールド・アワー 兼高かおる世界の旅。この番組は躍進する日本経済の原動力、三井グループの代表11社の提供でお送りいたします。300年の伝統と信用。最も新しい経営と技術を誇る三井各社は、産業経済の発展に貢献するとともに、貿易を通じて広く世界に活躍しております。番組の制作に当たっては世界で最も経験ある航空会社・パンアメリカンの協力を得ました」 (エンディング)「この番組は躍進する日本経済の担い手、三井グループの代表…(協賛11社読み上げ 中略)以上11社がお送りいたしました。パンアメリカン航空は、世界で最初に大西洋横断空路・中南米空路・太平洋横断空路・また世界一周空路を開設した航空会社です」 1977年4月から1987年9月まで三洋電機(および同社グループ)による1社提供番組。三洋電機グループ提供時代にはヒッチハイク枠で同社の石油ファンヒーターの回収CMをおこなったことがあった。また1986年12月1日に「SANYO」のロゴが一新されたことを受けて、同年12月7日放送分からが歌うオープニングキャッチがリニューアルされCMソングも一新された。1978年以降1986年11月30日放送分までは「♪20歳(はたち)になろうが〜 50になろうが〜」の歌い出しで始まる当時のCMソング「青春1・2・3」がオープニングキャッチとして流された。12月以降は小坂明子が歌う「♪Somebody〜 今ハートがシンクロ〜」の歌い出しで始まる曲に変更された。 1987年10月から関西ペイントの1社提供番組だったが、1989年10月から1990年9月までファーストグループなどの複数社提供となった。
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