田辺電灯と日高電灯とは? わかりやすく解説

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田辺電灯と日高電灯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:52 UTC 版)

日高川水力電気」の記事における「田辺電灯と日高電灯」の解説

日高川水力電気株式会社は、1916年大正5年8月25日和歌山県日高郡御坊町(現・御坊市)に設立。3か月後の同年11月15日同社は同じ御坊日高電灯と、西牟婁郡田辺町(現・田辺市)の田辺電灯合併その事業を継承して開業した日高川水力電気前身会社2社のうち、先に開業したのは田辺電灯である。 和歌山県下では、まず1897年明治30年)に和歌山市において和歌山電灯(のちの和歌山水力電気)が開業し電気普及始まった1899年明治32年)には新宮水力発電による新宮電灯(後の熊野電気)が開業する。これらに続く電気事業起業動き日露戦争後のことで、県中南部田辺町においては1909年明治42年)に起業動き始まった。その契機は、町内商工業者による組織田辺実業協会」が会員からの意見元に7月田辺町長に対し町営電灯事業要望したことにある。町営案について町が難色示したことから、9月岡本庄太郎(大地主呉服商四十三銀役員)や栗山田辺銀行役員)らにより相次いで電灯会社出願なされた岡本らの計画火力発電栗山らの計画吸入ガス機関(サクションガスエンジン)によるガス発電違いがあったが、郡や実業協会調停により岡本らは計画断念栗山らの計画事業化されることになった1910年明治43年4月9日田辺町田辺電灯株式会社設立された。資本金設立時5万円、のち10万円。栗山初代社長就いた電灯供給開始は翌1911年明治44年3月3日からで、当日会社前にイルミネーション施され鬪雞神社では開業を祝う競馬踊りが行われたという。当初供給区域田辺町西ノ谷村湊村で、田辺町大字上屋敷町出力50キロワットガス力発電所置かれた。供給区域1913年までこの3町村限られたその後拡大し1915年大正4年9月1日からは瀬戸鉛山村(現・白浜町)でも点灯している。なお日高川水力電気との合併直前1916年8月時点での田辺発電所ガス力と汽力発電併用で、出力170キロワットであった一方御坊町では1911年1月10日資本金3万円にて日高電灯株式会社設立された。同社同年9月22日付で開業当初供給区域御坊町のみで、町内出力30キロワットガス力発電所置いていた。社長御坊町津村三郎日高銀行頭取)、常務小竹岩楠白浜温泉開発主導した人物であった日高川水力電気との合併直前時点では御坊町印南町などで供給しており(下記1916年時点供給区域一覧参照)、御坊発電所出力72.5キロワットであった

※この「田辺電灯と日高電灯」の解説は、「日高川水力電気」の解説の一部です。
「田辺電灯と日高電灯」を含む「日高川水力電気」の記事については、「日高川水力電気」の概要を参照ください。

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