生涯――総括
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:33 UTC 版)
「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の記事における「生涯――総括」の解説
ランダーの生涯は多事多難なものであり、その原因はたいてい彼自身にあったが、そうでないものもあった。強情な性格と短気な気性、加えて権威に対する蔑視のために、長年にわたってトラブルに見舞われ続けることになったのである。奇行のゆえにラグビー校とオックスフォード大学から、そして時に実家から放逐されもした。彼の生涯において政敵すなわちピット派の人々との諍いに身を投じたのは意図してのことであったが、一方で、地方総監や英国国教会主教、大法官、スペインの士官ら、イタリアの大公、法王庁の使者、弁護士、その他の小役人たちと対立したのは不慮のためである。彼は、おもしろい結果がすぐに得られなければ、ずっと後になって酷い中傷を加えることで優位に立つのが常であった。 ランダーは、その執筆活動のせいで名誉毀損罪に問われることが多くあり、ラテン詩の体をとってごまかしてもイタリアでは無駄だった。友人たちがランダーに敵対する人々の怒りを鎮めるために助力しなければならなかったり、彼に節度を保つよう説得しなければならないことが何度もあった。友人たちは彼の作品を出版しようと絶望的な企てのために行動もした。ランダーは、自分の作品を売れないとか出版できないとか思っていた出版業者に怒りもし、彼らに騙されているとも感じていたのである。彼は英国でもイタリアでも隣人との法的紛争に繰り返し巻き込まれたが、ディケンズの『荒涼館』における人物描写は、ボイソーンとレイセスター・デッドロックとの間の門をめぐる紛争を中心に展開されている。人の全てを改善しようとする大胆かつ高邁なアイディアを実践しようとしたときと、皇太子の使者や浮浪者と間違われたときに、運命は彼の味方をしなかった。電撃的に結婚した妻には長年の労苦をさせた末に別居、それが彼を度重なる逃避へと引き戻すことになった。 ランダーは「最高に親切で優しい人」とも言われている。「態度は気前よく寛容であること計り知れないが、同じくらい誠実で寛大な心も持ち合わせていて」、そうした彼のために骨惜しみしない仲間を彼は集めることができた。「異議や反抗よりも、それに値するかどうかは別として、賞賛や激励を彼はさかんに口の端に上せた」と言われている。彼と面識のある人の多くが、彼は魅力的であり、生涯にわたってその機転と学識で人々を楽しませた、と明らかにしている。ランダーの強烈で抜群な笑い話によって表現される力強いユーモアのセンスは、過酷な運命が必然的にもたらす不愉快さを和らげるのに貢献し、また役立ちもしたことは疑いない。「彼の情熱的な同情心、世界中で受け入れられている悪への苦く燃えるような憐憫は、暴君殺しを擁護することに終生のはけ口を見出した。子どもたちへの、動物への、花への彼の優しく熱烈な愛は、彼の作品と彼の生き様と同様に、心地良い芳香を漂わせているのである。」[要ページ番号]
※この「生涯――総括」の解説は、「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の解説の一部です。
「生涯――総括」を含む「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の記事については、「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の概要を参照ください。
- 生涯――総括のページへのリンク