現代書への胎動とは? わかりやすく解説

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現代書への胎動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 13:37 UTC 版)

日本の書道史」の記事における「現代書への胎動」の解説

日下部鳴鶴を継ぐ主な人々の中で、もっとも壮大な展開をしたのは比田井天来である。天来30歳のとき、文検習字科)に合格し書家として活躍始まった。鳴唐様六朝書によって革新し、さらに碑版法帖体系的研究により、書にもその時代に相応し根拠持たせようとした。これに対して天来は碑版法帖よりいっそう体系づけるとともに個性芸術性という内面的な美意識開拓していった。この鳴から天来への展開は、天来門弟たちに引き継がれ、この時代に「現代書」として現れる日下部鳴鶴 比田井天来 上田桑鳩前衛書 手島右卿一字書 金子鷗亭近代詩文書 桑原翠邦漢字現代書の宣言 1933年昭和8年天来教え受けた上田桑鳩中心とした若い世代が「書道芸術社」を結成し機関誌書道芸術』を発刊した。その創刊の辞に、 「現代活きて居る吾等には自ら現代の書がなければならぬ。」「明治大正二時に於て先覚献身的に復古運動絶叫された。然し復古そのもの最後でも目的でもない此の基礎立って古いものを現代化し、或は進んで新しく生み出すことに意義がある。」(抜粋) と述べている。また鮫島看山は同じく創刊号の「作書理法覚書」の中で、 「書は文字と云ふ素材借りて作者主観表現するところの線芸術である。」「社会状勢変り作者主観が異り、用具が新に発明さるるならば、更に新し様式生れる可きは当然である。だから何時迄も従来篆隷行草固執する要はないと云ふことになる。」(抜粋) と述べている。このように書道芸術創刊号は「現代書」の進むべき方向性明らかにするものであった近代詩文書については、1933年昭和8年金子谷(亭)が『書之研究』に「新調和体」論を展開し島崎藤村の「秋風の歌」や北原白秋の「けやき」・「かやに」を発表したまた、書道芸術』は1937年昭和12年11月号で、仮名交じり文研究特集し手島右卿仮名交じり文とともに、それの英語表現報告している。

※この「現代書への胎動」の解説は、「日本の書道史」の解説の一部です。
「現代書への胎動」を含む「日本の書道史」の記事については、「日本の書道史」の概要を参照ください。

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