独裁と粛清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)
キンナがローマに入城した後もマリウスは軍団兵を率いて城壁前に留まり、困惑したキンナが理由を尋ねると自身は「国家の敵」であり、ローマに入る前にまず名誉の回復を要求した。元老院や民会が主だった政治家を大広場に集めてマリウスの名誉回復を決定する討議を始めると、マリウスは「バルデュアエイ」と呼ばれる親衛隊と広場に現れ、居並んでいた政治家を問答無用で殺害した。バルデュアエイはマリウスが殺せと命じた者を殺し、マリウスの頷きを見ては殺し、果てはマリウスがある法務官の挨拶を無視するとその法務官を殺して首を掲げたという。 民衆派の支配が復活したローマではマリウスとバルデュアエイによる恐怖政治が敷かれた。マリウスの表情次第で処刑されるかが決まり、ローマ人はマリウスと出会うのを恐れて街を出歩かなくなったが、マリウスの側が市内を巡察して少しでも敵意を持った人間を探して処刑していった。粛清の手は閥族派でもスッラとは敵対していた者や、民衆派でマリウスに一度でも反目した者にも及んだ。マルクス・アントニウス・オラトルやルキウス・ユリウス・カエサルらコンスル経験者を含む元老院議員だけで50人、騎士階級の者に至っては1,000人を超えたと言われる。 繰り返される殺戮にキンナは恐れ慄いたが、マリウスは裏切りへの報復を続けた。アントニウス・オラトルの隠れ家が分かった際には拍手して喜び、剣を手に持って自ら斬首しに向かおうとして周囲に押し留められている。スッラと並んで味方から敵に転じたカトゥルスに至ってはマリウスが「あれは死なねばならん」と言ったのを聞いて、惨殺される前に自ら命を絶っている。夥しい数の首がフォルムの前に晒され、マリウスが特に憎んだ者については死体が市中を引き回された。ローマ市民はマリウスの敵とされた人物を密告する者で溢れ返り、道には首のない死体が無造作に捨てられた。あまりにバルデュアエイが見境なく殺戮を繰り返すので、粛清が一段落ついた段階でキンナの名を受けた軍団兵によってバルデュアイは討伐された。 復讐を果たしたマリウスは腹心であるキンナと共に民会から執政官に選出されたが、これはマリウスにとっては7回目の執政官就任となり、共和政期において歴代最多の執政官経験数であった。マリウスはスッラの軍勢と相対すべく準備を始めたが、執政官就任式の直後に病状(腹膜炎であったとされる)が思わしくなく、死期を悟ると一族や側近達を集めた晩餐会で後継者を指名して病床に伏した。 後継指名から5日後、執政官就任から13日目の紀元前86年1月13日、70歳のマリウスは持病の悪化により死を迎えた。
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