独自開発に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 04:37 UTC 版)
「フィディラーツィヤ」の記事における「独自開発に至る経緯」の解説
「クリーペル」および「CSTS」も参照 RKKエネルギアが提案したクリーペルはコストを意識した実用的な設計を指向していたが、ロシア政府と外国からの大規模な経済支援がなければ実現する可能性は低かった。そのため、ロシア連邦宇宙局とRKKエネルギアは、クリーペルを海外のパートナーに売り込むことを目論んだ。 NASAはコンステレーション計画の一環としてオリオン宇宙船の開発に着手していたため、ロシアはヨーロッパをパートナーとして狙いを定めた。欧州宇宙機関 (ESA)はNASAにコンステレーション計画への参加を打診していたが、色よい返事は得られていなかった。そのため、ヨーロッパは次世代型有人宇宙船の開発についてロシアと協力することを選んだ。しかし、ESAはロシアが設計したクリーペルを採用せず共同開発とすることを主張したため、新たにCSTSが計画された。CSTSは2006年9月から2008年春までの18ヶ月に渡って初期検討が行われたものの、ESAは欧州補給機を有人型に発展させることを決めたため、CSTSは2008年11月のESA理事会を待たずに計画中止となった。 一方、ロシア連邦宇宙局は同時期にクルニチェフ国家研究生産宇宙センターから再三にわたって新しいアンガラ・ロケットで打ち上げることができるTKSを基にした次世代有人宇宙船の提案を受けていた。CSTSが計画中止となったことを受けて、ロシア連邦宇宙局は新型有人宇宙船を独自開発することを決定した。
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