独裁の強化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 23:47 UTC 版)
反共産主義者だったジエムは東南アジアでの共産主義の拡大を懸念するアメリカのバックアップを受け、ジュネーヴ協定に基づく南北統一総選挙を拒否してベトナム民主共和国への対決色を強め、弟のゴ・ディン・ヌーを大統領顧問に任命し、秘密警察と軍特殊部隊を掌握させ、国内の共産主義者を始めとする反政府分子を厳しく弾圧した。 1961年にアメリカ合衆国大統領に就任したジョン・F・ケネディ大統領は、J・ウィリアム・フルブライト上院外交委員会委員長に対し、「南ベトナムとラオスを支援するために『アメリカ軍』を南ベトナムとタイ王国に送る」と通告し、併せてこの決定を正当化させるために、リンドン・ジョンソン副大統領とロバート・マクナマラ国防長官をベトナムに派遣し情勢視察に当たらせた。ジョンソン副大統領はベトナム視察の報告書の中でジエム大統領の事を「国民から乖離しており、しかもジエム本人以上に好ましくない人物に取り巻かれている」と忠告した。 1961年11月、ケネディ大統領の指導のもとアメリカ合衆国軍は南ベトナム政府軍とともに、ジャングルに隠れてゲリラ戦を仕掛ける南ベトナム解放民族戦線(NLF)を壊滅させる目的で、爆撃機や武装ヘリコプターなどの各種航空機を使用したクラスター爆弾、ナパーム弾による攻撃と、南ベトナム解放民族戦線(NLF)の補給・攻撃・潜伏の拠点であるジャングルを破壊する目的で、ジャングルに対する枯葉剤による攻撃、戦闘車両や重火器による攻撃を開始した。この際にジエム大統領は枯葉剤散布の許可を与えた。
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