独自バヨネットマウントカメラボディー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 05:08 UTC 版)
「キヤノンのレンジファインダーカメラ製品一覧」の記事における「独自バヨネットマウントカメラボディー」の解説
カンノン(Kwanon 、1934年試作) - 当時はライカとコンタックスの2大ブランドが市場を席捲していたが、吉田五郎はアメリカの貿易商ロイ・E・デレーの「お前の国には素晴らしい軍艦や飛行機があるのになんでこんなものが作れないのか」という言葉に発憤し、実際に手に入れたライカを分解し、その部品を見て「これならできる」と確信、妹婿である内田三郎(1899-1982年)や内田の元部下の前田武男(1909-1975年)とともにキヤノンの前身である精機光学研究所を創設、内田と親交のあった医師で後キヤノン初代社長となる御手洗毅、陸軍第一師団にいた山口一太郎大尉の支援を受けて作り上げた。アサヒカメラ1934年6月号から「潜水艦ハ伊號、飛行機ハ九二式、カメラハKWANON、皆世界一」とのコピーで広告が打たれたが発売されなかった。 キヤノン標準型またはハンザキヤノン(1935年10月または1936年2月発売) - カンノンを市場に送りこもうとレンズや距離計など光学系の設計製造で日本光学工業(現ニコン)の協力を得、ニッコール50mmF3.5とセットで販売された。近江屋写真用品と販売契約を結んだため近江屋写真用品のブランド「ハンザ」が冠された。ファインダーはエルンスト・ライツ(現ライカ)の、距離計の間にファインダーを組み込むことで距離計の基線長を確保した上で小型にできる特許を避けるため「びっくり箱」と俗称された飛び出し式。レンズマウントは独自規格の3本爪バヨネット。当時「ライカとコンタックスの悪いところを寄せ集めたよう」と評された。 キヤノン最新型またはセイキキヤノンまたはキヤノンS(1939年2月発売) - キヤノン標準型に1/20〜1秒のスローシャッターを組み込んだモデル。名称からはハンザのブランド名が冠されなくなったが引き続き近江屋写真用品から販売されていた。粟野幹男がメーカーに聞いたところではSはスタンダードの意との回答があったと言うが、キヤノン標準型との混乱の危険性がある旨指摘している。日本海軍、日本陸軍に制式兵器として納入され、海軍に納入された個体の一部には「小型写真器二型」の刻印がある。 キヤノン新標準型(1939年末発売) - キヤノン最新型からスローシャッターを省いたモデル。生産は約100台に終わった。 キヤノン戦後最新型またはキヤノンS型(1946年1月発売) - 約100台が生産された。
※この「独自バヨネットマウントカメラボディー」の解説は、「キヤノンのレンジファインダーカメラ製品一覧」の解説の一部です。
「独自バヨネットマウントカメラボディー」を含む「キヤノンのレンジファインダーカメラ製品一覧」の記事については、「キヤノンのレンジファインダーカメラ製品一覧」の概要を参照ください。
- 独自バヨネットマウントカメラボディーのページへのリンク